薬術の魔女の結婚事情

どうして教えてくれないのか。


「……今日も、いない」

 魔術師の男の屋敷に着くなり、薬術の魔女は呟いた。
 春休みが終わってからも、木の札を用いて何度か訪れたのだが。

「春来の儀ってやつが終わってから、もう結構過ぎたと思うんだけど?」

『暫く帰ってこられない』と言われてから一切、魔術師の男の姿を見ていなかった。
 初めはあまり気にしていなかったのだが

「いくらなんでも遅い気がする」

口を尖らせ、彼女は首を傾げる。
 薬術の魔女が確認できうる限りでは、居ないうちに戻ってきたような形跡もなかった。
 だが、魔術師の男が帰ってこない期間は、儀式が終わってから2週間はゆうに過ぎている。なのでどちらかと言えば、薬術の魔女が気付くのが遅い。

 確かに、何かがおかしいと気付くまでに時間がかかった。だがこの数日間、全く彼の事を考えなかったわけではない。
 屋敷に入ればすぐ魔術師の男が居るか居ないかを確認していた。居ないと知った時は、彼女は無自覚ながら小さな落胆を覚えてそのまま地下の書庫に向かっていったのだ。

「(……連絡、入れてみようかな)」

 書庫の閲覧用の空間にある椅子に腰掛け、なんとなしに思う。やや椅子が高いからか、行儀悪くも足をぷらぷらと振りながら。この屋敷内にある家具も大抵大きめなので、椅子に腰掛けると足が浮く。それは特注ではなく、もとより身体が大きい人向けの規格の頑丈な家具なので珍しいものではない。ちなみに主な利用者は軍人である。

 今までは『仕事中だったらどうしよう』と(薬術の魔女なりに)はばかって連絡は入れていなかった。だがさすがに2週間も連絡を何一つも寄越さないのなら、仕事の最中でももう構わないのでは、と思えてくる。
 だったら連絡を入れよう、と連絡機を取り出したところで、はた、と薬術の魔女は動きを止めた。

「……その前に、何か引っかかることがあるんだよね」

その違和感に口を尖らせる。

「なんだっけ」

 考えていると、くしゃ、と腰元のポケットの中の何かが音を立てた。そこに手を入れ、触れたものを取り出す。それは、何かが書かれた紙だった。

「えっと」

 確か、春休みの後にその2から手渡されたものだ。
 『あなたの婚約者に頼まれた』ものだとか。

「『遺書』……みたいなもの、だっけ」

中身は財産分与に関するもので、要するに死んだらこの屋敷にある本や薬の(たぐ)いのほとんどを薬術の魔女にくれると言うものだ。『受け取った後は好きにして良い』とも書かれていたので、使用や消費を行っても、売っても良いらしい。

「…………あ、」

 唐突に思い出した。
 どうして、その2がこの紙を持ってきたのだろうか、と。

×

「『手紙を渡された時の前後の話』……ですか?」

 目を丸くするその2に、薬術の魔女は頷いた。

「そう。何か知ってるならなんでもいいから教えてほしいな」

 修学旅行での班が同じだったので、それを利用して聞くことにしたのだ。友人Aとその3が丁度居ないタイミングだった。

「それは……どうしてですか?」

と、その2はもっともな事を問う。今までほとんど他人(ひと)について強い反応を示さなかった薬術の魔女が、人越しで良いから知りたい、と行動を起こしたからだ。
 それに、相手は婚約者のはずだ。だから、ある程度の状況は共有しているのではとその2は思っていた。

「全く姿も見ないし連絡もないから、きみなら知ってるかもって思ったの」

 彼女の返答に、状況の共有がされていないのだとすぐに理解した。それと同時に、何故、婚約者の薬術の魔女に話していないのだろうと疑問が残る。

「何か知ってる?」

 薬術の魔女の問いかける視線に、その2は少し視線を横にずらして、考える様子を見せた。

「えぇっと……。なんだか、儀式の時に何かあったらしくて。それで、大事をとってお城で療養中……みたいな感じだったと思います」

その2はそう答えた。思い出す限り、話した言葉と相違は無いはずだ。

「へぇー。そうだったんだね」

 初めて聞いた話に、薬術の魔女は大きく頷いた。

「教えてくれてありがと!」

 にこにこと笑って、薬術の魔女はその2にお礼を述べる。

×

 そして。

「(……まっっっったく、聞いてないんだけど?!)」

 学校が終わり魔術師の男の屋敷の書庫に移動した薬術の魔女は、口を尖らせながら薬草の本を取り出した。それはいつのまにか増えていた薬草関連の書籍である。
 重い本達を根菜を抜くかの如く、本棚の土壌から引き抜いては手押しの台車に乗せた。
 気付けばかなりの冊数を抜き出していたので、読書用の空間へと押して運ぶ。

「……(まあ。たしかに、わたしはあの人とは契約上での婚約者でしかないんだけどさー)」

 思いの外抜き出した本が多かったので、きっと今日中には読み終わらないだろうことはすぐにわかった。それでも気にせず本を机に積んでゆく。
 よく分からないのだが、なんとなく腹が立った。
 婚約者である薬術の魔女自身を放って置かれたような心地になる。
 それと同時に、ちく、と胸の奥が僅かに傷んだような。
 それをごまかすように、薬術の魔女は書庫の本を開いて目を通し始めた。
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