白薔薇園の憂鬱
第4話
「まだお前は詩織につきまとっていたのか! 勝手に入ってくるんじゃない! 出て行け!」
「えぇ、もちろん出て行くわ!」
詩織さんはその男の子としっかりと手を繋ぐ。
テーブルに置かれたカップを手にすると、それを私に渡した。
「紗和子さん。私、このカップはいりません。あなたにあげる」
「え?」
彼女は毅然と父親を仰ぎ見た。
「お父さん。私は自分の本当に好きな人と、透さんと幸せになります!」
「許さん! あれほどこの男とは、もう連絡をとるなと言ったのに!」
「お父さん。私はね、もう子供じゃないのよ」
詩織さんはポケットから携帯を取りだすと、それを高々と空に掲げた。
「大学を卒業して社会人となったいま、自分でスマホも契約できるようになったんだから!」
「なんだって!?」
透さんは、最愛の彼女である詩織さんの手をしっかりと握り返す。
「行こう! 詩織!」
「お父さん、ごめんなさい!」
二人は勢いよくリビングから走り去った。
「待ちなさい! 詩織!!」
「兄さん、あの二人を追いかけよう!」
篤広氏が走りだし、孝良氏も慌てて後を追いかけた。
ドタバタの喧騒は廊下の奥から玄関の外へ移行し、賑やかな声はやがて聞こえなくなる……。
あーびっくりした。なんだあれ。
走り出したおっさん二人の背に、私は何とも言い難い哀愁を感じてしまう。
自我のある大人になった娘を、いつまでも幼い自分の所有物だと思っている困ったおじさん達だ。
若い娘が父と叔父さんに自分の携帯をいいように勝手に扱われて、大人しく黙っているワケがない。
そんな気持ち悪い携帯なんか、自分の携帯じゃない。
詩織さんの掲げたそのスマホが、父から買い与えられた高性能最新機種ではなく、一世代前の古い機種だったことに、彼女の本気度がうかがえる。
彼女は自分で契約した携帯で、本当に好きな人と連絡をとりあっていたんだね。
よかった。
彼女がただ弱いだけの、泣いてばかりの女の子じゃなくて。
「えーっと。どうしましょうか」
佐山CMOが、部屋の雰囲気を戻すように口を開いた。
てゆーか、どさくさに紛れて、あの叔父さんは逃げたな。
申し訳なさそうな顔で、残された兄の学さんが頭を下げる。
「お二人には、大変なご迷惑をおかけしましたね。そのカップを、最終的に紗和子さんの鞄に入れたのは僕です」
「あなた方の叔父さんはこっそりカップを持って二階にあがり、そのまま僕と詩織さんが上がって来るのを待っていた」
「その時僕は、二階の自分の部屋にいました」
学さんは申し訳なさそうに私を見る。
「颯斗くんと詩織、叔父の篤広が二階に上がって行くのを見送って、紗和子さんが父とお別れの挨拶をしていた時です。叔父がカップを持って詩織の部屋に入ったのを見て、下に降りて行った隙にそれを取り戻しました。今思うと、叔父はそのカップを割ってしまおうと思っていたのですね」
学さんは大きく息を吐き出した。
「なんでこんなものを二階に持って上がったんだろう。なくなったってまた大騒ぎするのにと、一階へ戻しに下りてきたのはいいものの、どこに置こうか迷ったあげく、すぐ目の前にあった鞄に……。それが、紗和子さんのものと知りつつ中に突っ込んでしまいました。僕もこれでも一応、妹の心配はしていたんです。詩織があなたの鞄に最初にカップを入れたとき、僕も父と一緒に見ていたんです。どうして詩織はそんなことをするんだろうって思いましたよ。父は怒ってカップを元の木箱に戻しましたが、僕は詩織には詩織の考えがあって、そうしたんだと思ったんです」
彼は手の平でごしごしと額をこすった。
「だから事情はどうあれ、一番最初の詩織の望み通りに、元に戻しておこうと思ったんです」
「私の鞄にカップが入っていたことを知っていたから、あなたはすぐにカップを取りだしたんですね」
「まぁ、うちの家族のしたことを誤魔化そうとしたのも事実です。他に隠し場所も見当たらなかったし。とっさにって感じですかね。詩織が本当に、紗和子さんに言いくるめられて動いているのではないという、確信もなかったですし」
そんなことで、私は悪者にされようとしていたの?
カップが欲しかったのは事実だけど、そんな風に思われていたなんて。
「私は……。詩織さんと話したのは、今日が初めてです」
この人達にとっては、私も詩織さんも、所詮都合のいい道具に過ぎないんだ。
学さんはもう一度私に頭を下げた。
「すみませんでした。紗和子さんを信じますよ。僕はもう、あなたを疑ったりなんかしていません」
「そ……んな。だ、だからって……」
悔しくて言葉が出ない。
私の代わりに、佐山CMOは宇宙色のカップを手に取った。
「では詩織さんの望み通り、このカップは彼女に譲ります。僕もそうしたいと思っていますし、学さんもそれでよろしいですね?」
「はい。そのカップは、紗和子さんにお譲りします。それでお詫びになるのなら」
佐山CMOは鞄にカップを入れると、私の腰に手を回した。
「さぁ、一緒に帰ろう」
学さんの見送りをうけながら、廊下を進む。
とにかくここを出るまではと、こぼれ落ちそうな涙をぐっと我慢して、背筋はしっかりと伸ばす。
真っ直ぐに前を向いて歩いた。
私は誰にも恥じることなく、一番正々堂々としているべきだ。
玄関を出ようとしたとき、学さんは何も言わずもう一度深く頭を下げた。
佐山CMOの用意した車に、すぐに乗り込む。
車が屋敷の門を抜けたところで、ずっと我慢していた涙があふれ出した。
「えぇ、もちろん出て行くわ!」
詩織さんはその男の子としっかりと手を繋ぐ。
テーブルに置かれたカップを手にすると、それを私に渡した。
「紗和子さん。私、このカップはいりません。あなたにあげる」
「え?」
彼女は毅然と父親を仰ぎ見た。
「お父さん。私は自分の本当に好きな人と、透さんと幸せになります!」
「許さん! あれほどこの男とは、もう連絡をとるなと言ったのに!」
「お父さん。私はね、もう子供じゃないのよ」
詩織さんはポケットから携帯を取りだすと、それを高々と空に掲げた。
「大学を卒業して社会人となったいま、自分でスマホも契約できるようになったんだから!」
「なんだって!?」
透さんは、最愛の彼女である詩織さんの手をしっかりと握り返す。
「行こう! 詩織!」
「お父さん、ごめんなさい!」
二人は勢いよくリビングから走り去った。
「待ちなさい! 詩織!!」
「兄さん、あの二人を追いかけよう!」
篤広氏が走りだし、孝良氏も慌てて後を追いかけた。
ドタバタの喧騒は廊下の奥から玄関の外へ移行し、賑やかな声はやがて聞こえなくなる……。
あーびっくりした。なんだあれ。
走り出したおっさん二人の背に、私は何とも言い難い哀愁を感じてしまう。
自我のある大人になった娘を、いつまでも幼い自分の所有物だと思っている困ったおじさん達だ。
若い娘が父と叔父さんに自分の携帯をいいように勝手に扱われて、大人しく黙っているワケがない。
そんな気持ち悪い携帯なんか、自分の携帯じゃない。
詩織さんの掲げたそのスマホが、父から買い与えられた高性能最新機種ではなく、一世代前の古い機種だったことに、彼女の本気度がうかがえる。
彼女は自分で契約した携帯で、本当に好きな人と連絡をとりあっていたんだね。
よかった。
彼女がただ弱いだけの、泣いてばかりの女の子じゃなくて。
「えーっと。どうしましょうか」
佐山CMOが、部屋の雰囲気を戻すように口を開いた。
てゆーか、どさくさに紛れて、あの叔父さんは逃げたな。
申し訳なさそうな顔で、残された兄の学さんが頭を下げる。
「お二人には、大変なご迷惑をおかけしましたね。そのカップを、最終的に紗和子さんの鞄に入れたのは僕です」
「あなた方の叔父さんはこっそりカップを持って二階にあがり、そのまま僕と詩織さんが上がって来るのを待っていた」
「その時僕は、二階の自分の部屋にいました」
学さんは申し訳なさそうに私を見る。
「颯斗くんと詩織、叔父の篤広が二階に上がって行くのを見送って、紗和子さんが父とお別れの挨拶をしていた時です。叔父がカップを持って詩織の部屋に入ったのを見て、下に降りて行った隙にそれを取り戻しました。今思うと、叔父はそのカップを割ってしまおうと思っていたのですね」
学さんは大きく息を吐き出した。
「なんでこんなものを二階に持って上がったんだろう。なくなったってまた大騒ぎするのにと、一階へ戻しに下りてきたのはいいものの、どこに置こうか迷ったあげく、すぐ目の前にあった鞄に……。それが、紗和子さんのものと知りつつ中に突っ込んでしまいました。僕もこれでも一応、妹の心配はしていたんです。詩織があなたの鞄に最初にカップを入れたとき、僕も父と一緒に見ていたんです。どうして詩織はそんなことをするんだろうって思いましたよ。父は怒ってカップを元の木箱に戻しましたが、僕は詩織には詩織の考えがあって、そうしたんだと思ったんです」
彼は手の平でごしごしと額をこすった。
「だから事情はどうあれ、一番最初の詩織の望み通りに、元に戻しておこうと思ったんです」
「私の鞄にカップが入っていたことを知っていたから、あなたはすぐにカップを取りだしたんですね」
「まぁ、うちの家族のしたことを誤魔化そうとしたのも事実です。他に隠し場所も見当たらなかったし。とっさにって感じですかね。詩織が本当に、紗和子さんに言いくるめられて動いているのではないという、確信もなかったですし」
そんなことで、私は悪者にされようとしていたの?
カップが欲しかったのは事実だけど、そんな風に思われていたなんて。
「私は……。詩織さんと話したのは、今日が初めてです」
この人達にとっては、私も詩織さんも、所詮都合のいい道具に過ぎないんだ。
学さんはもう一度私に頭を下げた。
「すみませんでした。紗和子さんを信じますよ。僕はもう、あなたを疑ったりなんかしていません」
「そ……んな。だ、だからって……」
悔しくて言葉が出ない。
私の代わりに、佐山CMOは宇宙色のカップを手に取った。
「では詩織さんの望み通り、このカップは彼女に譲ります。僕もそうしたいと思っていますし、学さんもそれでよろしいですね?」
「はい。そのカップは、紗和子さんにお譲りします。それでお詫びになるのなら」
佐山CMOは鞄にカップを入れると、私の腰に手を回した。
「さぁ、一緒に帰ろう」
学さんの見送りをうけながら、廊下を進む。
とにかくここを出るまではと、こぼれ落ちそうな涙をぐっと我慢して、背筋はしっかりと伸ばす。
真っ直ぐに前を向いて歩いた。
私は誰にも恥じることなく、一番正々堂々としているべきだ。
玄関を出ようとしたとき、学さんは何も言わずもう一度深く頭を下げた。
佐山CMOの用意した車に、すぐに乗り込む。
車が屋敷の門を抜けたところで、ずっと我慢していた涙があふれ出した。