白薔薇園の憂鬱

第3話

「ね。紗和子さんは、かわいいでしょ?」
「えぇ本当に。私の若い頃にそっくり!」

 おばさまたちのおしゃべりは、ぺちゃくちゃと一向に収まる気配はない。
私はそれに適当に返事をしながら、機嫌良く会話を続ける彼の横顔をチラリと見上げた。

 まぁ、そういう紹介になるよね。
三上恭平の孫だって。
楽しそうに話す彼の言葉に、傷ついている自分がいる。
彼に悪気はないことも、十分に分かっている。
得意げに私を自慢する彼にとって、私の役割は黙って彼の隣にいること。
ここに来る前から、そう言ってたじゃない。
自分だって納得した。
彼が私を連れてきた本当の目的は、話題作り以外のなにものでもない。
服も買ってもらったし、私はこの人と一緒じゃなければ、このオークションルームには入れない立場だ。
入場許可証である招待状を持つ人と、その同伴者一人だけがここに入ることが許されている。
おじいちゃんの絵に会いに来るためだもの。
これくらいのことは、何でもない。
こんなことぐらいしか、私には彼に返せるものがないから、その役割をちゃんと果たさなければ……。

「先日、デイリーオークションの会場で女性を泣かせたと、さんざん周囲から怒られましたからね。もうそんなことはしませんよ」

 おばさまたちは笑って、「よかったわね、仲直り出来て」なんて言ってる。
私は「えぇ、そうですね」なんて言いながら微笑んだ。
そういうことだ。
彼は彼の所属する社交の場で、名誉の回復がしたかっただけだ。
決して私を一人の友人とも、ましてや恋人とも紹介はしない。
社員じゃなかっただけ、マシなのかも。

 すぐに別のおじさまがやって来て、おばさま方と一緒になって話し始めた。
佐山CMOのアクセサリー役を引き受けたといっても、さすがにずっとお人形のまま、じっとしてはいられない。
私はじわじわとCMOから距離を取りつつ、ゆっくりとその場を離れた。
広い会場だ。
迷子になったって、携帯ですぐ連絡はとれる。
いつまでも自分じゃない自分を作っているのも疲れるから、悪いけど一旦休憩させて下さい。
そもそも祖父の作品に関する知識しか持っていない私には、彼らの広範囲にわたるアートの話題に、とてもじゃないけど、ついていけない。

 その輪を抜け出し、もう一度おじいちゃんの絵の前に立って、別れを惜しむ。
3千万円。
3千万円からのオークションスタートかぁ~。
額縁の脇に小さく添えられた金額に、複雑な気分になる。
値段が全てではないことは、もちろん分かっている。
だけど、父が最初にこの絵を売った時は、いくらの値をつけていたんだろう。
そしてこれから、どれくらいの値がつけられるのだろう。
祖父との折り合いの悪かった父は、寡黙な人だった。
病弱でいつもベッドに寝込んでいるような人だった。
そんな父は3千万以上の価値を、祖父の作品に見ていたのだろうか。

 自分のものではない作品を見上げる。
背後から、覚えのある声が聞こえた。

「あら。ずいぶんとこの絵を熱心にごらんになっているのね、興味がおありかしら」

 私は瞬間的に身構えると、慎重に声の主を確かめた。
この声は、忘れたくても忘れられない。

「三上恭平の孫が来ているっていうから、冗談かと思ったのに。本当に来ていたのね。驚いた」

 豊橋良子。
おじいちゃんの昔の恋人で、私の父の産みの親だ。
個人で画商みたいなことを始めたとは聞いていたけど、失敗した。
まさかこんなところで鉢合わせするなんて。
これだけの規模のアートフェスだ。
彼女がここにいたって、不思議じゃない。

「聞けば、佐山商事の息子さんと同伴だとか。ずいぶんといいお相手を見つけたものね」

 歳のわりに手入れの行き届いた気持ち悪いほどつるつるした肌で、彼女はにっこりと微笑む。
髪は完全に白髪で、きっちりセットされていた。
キラキラと光るラメ入りの派手な白いスーツに、ぽっちゃりとした身を固めている。

「彼にかわいくお願いして、この絵を競り落としてもらうつもりかしら」
「そんなことしません」
「まぁ! それじゃあ、彼をここに連れてきた意味がないじゃない」

 この人は父の葬儀の後で一度だけ面会した、私の祖母にあたる人だ。
身寄りをなくした私の、扶養義務を負わないということだけを互いに書面で確認して、すぐに別れた。
彼女は17歳の時に、おじいちゃんと道ならぬ恋をして父を産み、その父が3歳の時に子供をおいて家をでた。
元々資産家のお嬢様だったらしいが、とっくの昔に自分の家よりもさらにご立派な資産家一族と再婚し、完全に過去を切り捨てて生きている。
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