白薔薇園の憂鬱

第2話

「なんでここが分かったの!」

 想は栗色の髪にくりくりした丸い目で、驚いた顔を上げる。

「なんでって、後をつけてきたのよ」
「なにそれ、ずるくない?」
「ルールには入ってなかったでしょ。それに、こんなところに隠そうってのも、卑怯だと思うけど」

 私がにらみつけたら、想は声を出して笑った。

「あのね、さすがに僕だって、こんなところに隠そうとは思ってないよ」

 彼はにやりと笑って、手に持った青い花柄のウェイトをちらつかせる。

「おばあさまに頼まれてね、ちょっと荷物を取りにきただけなんだ。ほら、ちゃんとまだ手に持ってるでしょ」

 ムッとした私に、彼はにこにこと笑みをこぼす。

「いやだなぁ。そんな怖い目で見ないでよ」

 想は何か言いたげな従業員の男性に、「じゃ」と軽く挨拶を残して、パーティションの奥から抜け出した。
私は慌てて彼の後ろをついて歩く。

「あーどうしようかなぁ! こうやって後をつけられてると分かった今、ウェイトを隠そうにも隠せなくなっちゃったよねー」

 想は私を下から見上げるようにして目を合わせると、人懐こい笑顔を向けた。

「ねぇ、お姉さん。どうせなら二人で並んで、一緒に歩こうよ」

 彼は無邪気な笑顔を浮かべたまま、私の隣に並んだ。
指先が偶然かそうでないのか接触し、手を握られそうになって、それを振り払う。

「ふふ。冷たいなぁ。こう見えて僕も、女の子からは結構モテるんだけどね。まぁ佐山商事の御曹司とつき合ってるんなら、僕なんか目に入らないか」

 今日の私はヒールのある靴を履いているせいか、想と視線の位置はほとんど変わらない。
彼をひとにらみしてから、1歩先に出た。

「彼氏とデートで来たっていうわりには、一緒にいないよね。だって今この瞬間も、どっちかっていうと、僕とデートしてるみたいじゃない?」

 想はワザとなのか天然なのか、幼さの残るあどけない笑みをにっこりと浮かべた。
彼がからかってきてるのなんて、百も承知だ。

「想は、歳はいくつなの?」
「俺? 19」

 じゅ、19か。5つも下じゃないか。

「ねぇ、お姉さんの名前は? なんて呼べばいいの」
「紗和子。紗和子よ」

 勘の鋭いような子には見えないけど、名字は伏せておく。
三上恭平の孫だと知れたら、私とあのバアさんの関係にも、気づかれるかもしれない。

「紗和子ちゃんか。じゃあ、紗和ちゃんでいいよね」

 彼はそれはそれは可愛らしい、屈託のない笑みを見せると、上機嫌で歩き始めた。
この人懐こい感じは、お坊ちゃま特有の性質なんだろうか。
そういえば佐山CMOも、初めからやたらフレンドリーだったな。

「あ。ねぇ、見てこの作品。僕さ、この人の作品、好きなんだー」

 そんなことを言いながら、楽しそうにしゃべってるけど、私は想の好きな作品なんかに興味はない。
おじいちゃんの作品だけだ。
彼の話を完全に無視していたら、想はぷぅっと頬を膨らませた。

「もう、紗和ちゃんったら。そんなに怒ってばっかりじゃつまらないでしょ。せっかくなんだからさ、この状況を楽しもうよ」

 想はにっと笑って、また私を下からのぞき込む。

「それとも、他の男と並んで歩いてるのが見つかったら、カレシに怒られちゃう?」

 彼のワザと誇張した「カレシ」という言い方に、私の方が恥ずかしくなる。

「な、そ、そんなことないって!」
「あはは。紗和ちゃん、おもしろーい」

 想はこれ見よがしにウェイトをチラつかせたまま、一人で私とのデートを楽しみ始めた。
あのおばあさまの孫とだけあって、アートに関する知識は私より豊富だ。
楽しそうに美術品について語る彼を、きっとこんな状況じゃなければ、かわいらしいと思っただろう。
にこにこと笑顔を絶やさず、明るく振る舞うその仕草は、あどけなさの中にもちゃんと知性と教養を感じさせる。
色白のスラリとした抜群のスタイルで、顔も悪くない。
根はいい子、なんだろうな。
そんな想が、不意にクスリと微笑んだ。

「紗和ちゃんってさ、三上恭平の孫なの?」
「え? なにそれ」
「噂になってたよ。佐山の御曹司が連れてきてるって」

 やっぱり見た目だけで、人を判断しちゃいけない。
私は慎重に言葉を選ぶ。

「知らないから」
「僕も聞いたことがあるんだ。この業界じゃ有名だよね。オークション会場に現れては、三上作品の値をつり上げるだけつり上げて、結局落札できないって」

 想はキラキラな笑顔を見せた。

「いや、ギャラリーとしては、ありがたい存在なんだよ。ヤラセで値をつり上げてんじゃないかって思われがちだけど、紗和ちゃんは本気だもんね」

 ギロリとにらみつけた私に、想は相変わらず人懐こい笑みを浮かべる。

「だけどさ、お金持ちの彼氏、捕まえちゃったんだったら、今後はますます仲良くしておいた方がいいよね。三上恭平作品なら、必ずお買い上げしてくれるいいお客さんになるんだから。だからうちのばあさんも、話しかけたんだろ?」
「私はそんな風に、誰かを思ったことないんだけど」
「だって現に今も、コレを欲しがってるじゃないか」

 想はおじいちゃんの青いペーパーウェイトを片手に微笑む。

「コレ、三上恭平作品なんでしょ?」

 分かってやっていたのか。
やっぱり侮れない。
私が黙りこむと、彼はまたにこっと微笑んだ。
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