神様に人の倫理は通じない~溺愛からの裏切り、そして失墜の先へ~
16話 愚か者の物語
神殿から追放されたシャンティは、歩いて辿り着いた最初の街で、神様と暮らし始めた。
比較的、大きな街だったこともあり、シャンティの勤め先はすぐに見つかる。
神殿で技術を習得したパッチワークの腕が、高く買われたのだ。
提示された給金を見て、これなら少しは豊かな暮らしができると、シャンティは喜んだ。
しかし小さな部屋を借りて、神様との生活が始まると、シャンティは神様について、自分がまるで無知だったと思い知らされる。
同居生活をする上で、神様は役に立たなかったのだ。
シャンティが働きに出ている間、部屋の掃除をして欲しいと頼んだら、人の世を治めているので、それ以外の仕事が出来ないと言われてしまった。
なんでも精神を常に安定させていないと、人の世が乱れてしまうのだとか。
今は神の森から離れて、ただでさえ心の中が騒がしく、落ち着けるのに集中しなくてはいけないと言われ、シャンティは何も頼めなくなった。
日がな一日、家の中でジッとして、時おり、目を閉じては何かを熟考している神様。
シャンティは、働くどころか家事もしない、置き物同然の神様に、わずかな不満を感じた。
もっと新婚夫婦のような、二人で助け合う楽しい生活が始まると思っていたからだ。
◇◆◇
シャンティがそもそも神様と一緒に暮らせるようになったのは、神の森に侵入したときに神様と交渉したからだった。
「聖女であるお母さまにはできないことも、私にならしてもいいんですよ?」
そう言って外套をはだけ、シャンティが神様に下着姿を見せた夜。
シャンティの体よりも、シャンティの言葉に興味を示した神様が、「求める見返りは何だ?」と聞いてきた。
うまく神様を誘惑できたと勘違いしたシャンティは、深く考えずに自分の運命を決定づける要求をする。
「私はもうすぐ成人して、神殿から追い出されてしまいます。だけど愛する神様と、離れたくないんです。お願いします、私が死ぬまで傍らにいてください」
「それだけでよいのだな?」
「そうすれば私は、神様のものです。どうぞ、好きにしてください」
神様はしばらく考えた後、頷いた。
そして両手を差し出していたシャンティに、森から早急に立ち去るように言ったのだった。
シャンティはてっきり、その夜のうちに、神様に抱かれるものだと思っていた。
しかし考えてみれば、ここは神聖な森の中で、そういうことをするには、だいぶん相応しくないのだろう。
もう神様の言質は取った。
これから時間はいくらでもある。
そう自分を納得させて、シャンティは神殿に戻った。
母親代わりのターラを出し抜いたと、ほくそ笑みながら。
ターラはシャンティの命の恩人だ。
普通ならば感謝こそすれ、恨んだり嫌ったりはしないだろう。
だが、常にターラの側にいたシャンティは、そのせいで世の中の不公平を目の当たりにしてしまった。
口減らしで捨てられた平民のシャンティと、元子爵令嬢である貴族のターラとの違いを、否応なしに分からされたのだ。
5歳で初めて握ったペンは、鳥の羽根がついた美しいペンだった。
シャンティの小さな手にぴったりと合い、それが子ども用なのだと分かる。
今日の食事にも困っている貧しい家で育ったシャンティにとって、文字を習わせるために子どもにペンを買い与える家があるのかと、驚いたものだ。
お金のあるなし以外でも、シャンティはターラに隔たりを感じた。
母親をお母さまと呼ぶ平民は、シャンティ以外にいないというのは、10歳で学習の会に参加して知った。
シャンティの本当の名前は「ズズ」と言うが、響きが汚い上に大した意味もなく、新しくつけられた貴族のように美しい名前には感動した。
それでも、つくづく自分が平民だと思ったのは、ターラに何度指導されても、足音を立てずに歩けなかったせいだった。
貴族の嗜みであるパッチワーク技術を使って、ステンドグラスの神様を布絵として制作したことが、ターラが聖女に認定されるきっかけだったという。
ターラの実家は裕福な子爵家で、パッチワークに必要な布や糸や裁縫道具といった物資による支援を、神殿が継続的に受け取っているとも聞いた。
どうあがいたところで、聖女とは平民がなれる身分ではないのだと、その時にシャンティは思った。
しかし、平民の中でもシャンティは特別だ。
聖女でもないのに、神様に会える。
それに元子爵令嬢のターラに育てられたシャンティは、動作や言葉遣いが上品で、学習の会では男の子たちにチヤホヤされた。
そんな経験から、シャンティは自分が選ばれるに値する者なのだと、思いこむようになってしまう。
年頃になったシャンティは、眉目秀麗な神様に目を奪われ、いつしか淡い恋心を抱く。
幼さを装って、擦り寄ったり、甘い声を出して、気を引いたり。
少女ながらに必死に神様に好意をアピールをした。
だが、神様の関心はいつだってターラにあった。
いくら年を取っても外見は二十代の頃と変わらず、美しい銀髪と紫色の瞳を持つターラ。
実家は裕福な子爵家で、神の森への立ち入りを許された聖女で、神様の側仕えだから寿命まで長い。
平民っぽい茶色の髪と瞳しか持たず、捨てられ子だったシャンティからしてみれば、ターラは恵まれすぎていた。
そんなターラが、神様まで独り占めするのは許せない。
元からシャンティの中にあったターラへの悪感情が、反抗期や思春期という枠を超えて噴き出した。
ターラが隠そうとしていた神様への恋心を見抜いたシャンティは、ターラの前で神様に馴れ馴れしく接してみせた。
ターラが決して、神様に触れようとしないのを知っていたから、わざとべたべたして密かに優越感を味わっていた。
そして神様から視線を投げてもらえるようになると、シャンティは大きな野望を抱くようになる。
この極上の男を落とせば、貴族生まれの聖女ターラ以上の存在になれると。
シャンティは学習の会で知り合った男の子たちと遊びながら、男を悦ばせるコツを探した。
その結果、一番効き目があった方法を神様に試みる。
それが、下着姿を見せることだったのだ。
まんまと神様が引っかかってくれたので、シャンティは狂喜した。
将来の約束までしてもらえて、完全にターラに勝利したと思ったのだが――。
◇◆◇
神様はシャンティを抱こうとしなかった。
神の森から出て、新しい生活が始まり、まるで若夫婦のような二人。
「私は心の準備が出来ています。いつでも手を出していいんですよ?」
「手を出すとは?」
なんと神様は、夜の営みを知らなかったのだ。
シャンティが男女の交わり方を説明すると、嫌そうに顔をしかめ、そういうのは要らない、とすげなくされた。
下着姿のシャンティに興味を示したと思っていたのに、そうではなかった。
だったらなぜ神様は、ターラではなくシャンティを選んだのか。
二人暮らしが始まっても、神様は相変わらず、観察するような目でシャンティを見つめる。
こんなに顔のいい男に見つめられて、のぼせない女はいない。
そのうちにシャンティは、神様に真摯に愛されていると思うようになった。
これまで遊んだ男の子たちのように、シャンティの体が目的ではない。
純粋に神様は、シャンティ自身を望んでくれているのだ。
それはシャンティが生きてきた中で、一番心を満たしてくれる感情だった。
神様は髪と瞳の色を変えただけで、外見は麗しいままだ。
いくら家の中でジッとしているといっても、ひょんな機会にその美貌が外にバレて噂になる。
この世のものとは思えない神様の顔を少しでも拝もうと、シャンティたちが暮らす部屋の前に、年頃の女たちが鈴なりに群がるのはすぐだった。
シャンティはその度に、住む街を変えた。
他の女に、神様を取られたくなかったからだ。
街から街へ引っ越しをするたびに、職を失い、金が無くなる。
それでもシャンティは、神様を隠したかった。
シャンティだけの宝物を守るために、シャンティは次第に無理をするようになる。
シャンティの神様への執着は、年々増していった。
若いうちはまだよかった。
夜通し働いても、次の日も元気でいられた。
それが三十代を過ぎると、ぐっすり寝たはずなのに、疲れが取れなくなる。
シャンティにも、自分の体が衰えてきているのが分かった。
比較的、大きな街だったこともあり、シャンティの勤め先はすぐに見つかる。
神殿で技術を習得したパッチワークの腕が、高く買われたのだ。
提示された給金を見て、これなら少しは豊かな暮らしができると、シャンティは喜んだ。
しかし小さな部屋を借りて、神様との生活が始まると、シャンティは神様について、自分がまるで無知だったと思い知らされる。
同居生活をする上で、神様は役に立たなかったのだ。
シャンティが働きに出ている間、部屋の掃除をして欲しいと頼んだら、人の世を治めているので、それ以外の仕事が出来ないと言われてしまった。
なんでも精神を常に安定させていないと、人の世が乱れてしまうのだとか。
今は神の森から離れて、ただでさえ心の中が騒がしく、落ち着けるのに集中しなくてはいけないと言われ、シャンティは何も頼めなくなった。
日がな一日、家の中でジッとして、時おり、目を閉じては何かを熟考している神様。
シャンティは、働くどころか家事もしない、置き物同然の神様に、わずかな不満を感じた。
もっと新婚夫婦のような、二人で助け合う楽しい生活が始まると思っていたからだ。
◇◆◇
シャンティがそもそも神様と一緒に暮らせるようになったのは、神の森に侵入したときに神様と交渉したからだった。
「聖女であるお母さまにはできないことも、私にならしてもいいんですよ?」
そう言って外套をはだけ、シャンティが神様に下着姿を見せた夜。
シャンティの体よりも、シャンティの言葉に興味を示した神様が、「求める見返りは何だ?」と聞いてきた。
うまく神様を誘惑できたと勘違いしたシャンティは、深く考えずに自分の運命を決定づける要求をする。
「私はもうすぐ成人して、神殿から追い出されてしまいます。だけど愛する神様と、離れたくないんです。お願いします、私が死ぬまで傍らにいてください」
「それだけでよいのだな?」
「そうすれば私は、神様のものです。どうぞ、好きにしてください」
神様はしばらく考えた後、頷いた。
そして両手を差し出していたシャンティに、森から早急に立ち去るように言ったのだった。
シャンティはてっきり、その夜のうちに、神様に抱かれるものだと思っていた。
しかし考えてみれば、ここは神聖な森の中で、そういうことをするには、だいぶん相応しくないのだろう。
もう神様の言質は取った。
これから時間はいくらでもある。
そう自分を納得させて、シャンティは神殿に戻った。
母親代わりのターラを出し抜いたと、ほくそ笑みながら。
ターラはシャンティの命の恩人だ。
普通ならば感謝こそすれ、恨んだり嫌ったりはしないだろう。
だが、常にターラの側にいたシャンティは、そのせいで世の中の不公平を目の当たりにしてしまった。
口減らしで捨てられた平民のシャンティと、元子爵令嬢である貴族のターラとの違いを、否応なしに分からされたのだ。
5歳で初めて握ったペンは、鳥の羽根がついた美しいペンだった。
シャンティの小さな手にぴったりと合い、それが子ども用なのだと分かる。
今日の食事にも困っている貧しい家で育ったシャンティにとって、文字を習わせるために子どもにペンを買い与える家があるのかと、驚いたものだ。
お金のあるなし以外でも、シャンティはターラに隔たりを感じた。
母親をお母さまと呼ぶ平民は、シャンティ以外にいないというのは、10歳で学習の会に参加して知った。
シャンティの本当の名前は「ズズ」と言うが、響きが汚い上に大した意味もなく、新しくつけられた貴族のように美しい名前には感動した。
それでも、つくづく自分が平民だと思ったのは、ターラに何度指導されても、足音を立てずに歩けなかったせいだった。
貴族の嗜みであるパッチワーク技術を使って、ステンドグラスの神様を布絵として制作したことが、ターラが聖女に認定されるきっかけだったという。
ターラの実家は裕福な子爵家で、パッチワークに必要な布や糸や裁縫道具といった物資による支援を、神殿が継続的に受け取っているとも聞いた。
どうあがいたところで、聖女とは平民がなれる身分ではないのだと、その時にシャンティは思った。
しかし、平民の中でもシャンティは特別だ。
聖女でもないのに、神様に会える。
それに元子爵令嬢のターラに育てられたシャンティは、動作や言葉遣いが上品で、学習の会では男の子たちにチヤホヤされた。
そんな経験から、シャンティは自分が選ばれるに値する者なのだと、思いこむようになってしまう。
年頃になったシャンティは、眉目秀麗な神様に目を奪われ、いつしか淡い恋心を抱く。
幼さを装って、擦り寄ったり、甘い声を出して、気を引いたり。
少女ながらに必死に神様に好意をアピールをした。
だが、神様の関心はいつだってターラにあった。
いくら年を取っても外見は二十代の頃と変わらず、美しい銀髪と紫色の瞳を持つターラ。
実家は裕福な子爵家で、神の森への立ち入りを許された聖女で、神様の側仕えだから寿命まで長い。
平民っぽい茶色の髪と瞳しか持たず、捨てられ子だったシャンティからしてみれば、ターラは恵まれすぎていた。
そんなターラが、神様まで独り占めするのは許せない。
元からシャンティの中にあったターラへの悪感情が、反抗期や思春期という枠を超えて噴き出した。
ターラが隠そうとしていた神様への恋心を見抜いたシャンティは、ターラの前で神様に馴れ馴れしく接してみせた。
ターラが決して、神様に触れようとしないのを知っていたから、わざとべたべたして密かに優越感を味わっていた。
そして神様から視線を投げてもらえるようになると、シャンティは大きな野望を抱くようになる。
この極上の男を落とせば、貴族生まれの聖女ターラ以上の存在になれると。
シャンティは学習の会で知り合った男の子たちと遊びながら、男を悦ばせるコツを探した。
その結果、一番効き目があった方法を神様に試みる。
それが、下着姿を見せることだったのだ。
まんまと神様が引っかかってくれたので、シャンティは狂喜した。
将来の約束までしてもらえて、完全にターラに勝利したと思ったのだが――。
◇◆◇
神様はシャンティを抱こうとしなかった。
神の森から出て、新しい生活が始まり、まるで若夫婦のような二人。
「私は心の準備が出来ています。いつでも手を出していいんですよ?」
「手を出すとは?」
なんと神様は、夜の営みを知らなかったのだ。
シャンティが男女の交わり方を説明すると、嫌そうに顔をしかめ、そういうのは要らない、とすげなくされた。
下着姿のシャンティに興味を示したと思っていたのに、そうではなかった。
だったらなぜ神様は、ターラではなくシャンティを選んだのか。
二人暮らしが始まっても、神様は相変わらず、観察するような目でシャンティを見つめる。
こんなに顔のいい男に見つめられて、のぼせない女はいない。
そのうちにシャンティは、神様に真摯に愛されていると思うようになった。
これまで遊んだ男の子たちのように、シャンティの体が目的ではない。
純粋に神様は、シャンティ自身を望んでくれているのだ。
それはシャンティが生きてきた中で、一番心を満たしてくれる感情だった。
神様は髪と瞳の色を変えただけで、外見は麗しいままだ。
いくら家の中でジッとしているといっても、ひょんな機会にその美貌が外にバレて噂になる。
この世のものとは思えない神様の顔を少しでも拝もうと、シャンティたちが暮らす部屋の前に、年頃の女たちが鈴なりに群がるのはすぐだった。
シャンティはその度に、住む街を変えた。
他の女に、神様を取られたくなかったからだ。
街から街へ引っ越しをするたびに、職を失い、金が無くなる。
それでもシャンティは、神様を隠したかった。
シャンティだけの宝物を守るために、シャンティは次第に無理をするようになる。
シャンティの神様への執着は、年々増していった。
若いうちはまだよかった。
夜通し働いても、次の日も元気でいられた。
それが三十代を過ぎると、ぐっすり寝たはずなのに、疲れが取れなくなる。
シャンティにも、自分の体が衰えてきているのが分かった。