さよなら、妻だった私
04 悪役妻
予約してくれていた割烹料理屋はネットで見るよりも素敵なところだった。部屋の大きな窓からはライトアップされた庭園が美しい。六畳ほどの和室は、照明が控えめでムードもある。
やっぱり新しい服を買ってよかった、化粧もしてもらったし髪の毛もセットした。素敵なお店でも気後れしない、いつもの私のままじゃなくてきちんと言いたい事が言えそうだ。
まだ前菜しか運ばれていないが、並べられた小さな小鉢は見た目も味も最高だ。ビールが飲めたらもっといいのだけど、ノンアルコールビールでも十分においしい。
「食べないの?」
一人だけ前菜を食べ切ってしまい、目の前にいる二人に問いかける。
「食べるけど……」
気まずそうな宏斗がこちらを見やる。二人を気にせずに食べていた私を百合は気味悪そうに見た。
「何か話があったんじゃないの?」
「う、うん」
そう言いつつも宏斗は切り出そうとせずにビールを飲んでいるから、しびれを切らした百合が切り出した。
「冬子、本当にごめんなさい」
百合はハンカチで目元を押さえながら言った。本当に彼女に罪悪感があるのかはさておき、ようやく本題に入ってくれそうなので私は黙っていることにした。
「私、宏斗のことを愛してしまったの……」
「そうなんだ」
素っ気ない言葉が出てしまった。こういう時どんな反応をするのが正解なのだろうか。
「一緒に仕事をして、お酒も入ってそういう関係になってしまって、それで……」
「いつも写真くれてたものね」
「えっ?」
驚いたのは宏斗だった。まさか自称接待中の写真を送ってくるだけのお粗末なアリバイ工作で、不倫はバレないと思っていたのだろうか。
でもきっと百合は私が気づくことをわかっていただろう。
百合はそんなにバカではない。私を安心させるためと言いながら、あれは私へのアピールだ。百合の前で楽しそうにしている宏斗、素敵な店に連れてきてもらった優越感、二人きりの出張。
妻に堂々と浮気現場を実況して自慢できる、それはどれほど気持ちがよかったことだろう。
百合は最初からバレるつもりでやっている、今日のこの日を期待して。
「クレカの明細を見たらわかるでしょ、東京の人たちと飲んだと言っているのに、会社の近くの店でカードが切られていたり。取引先の接待といいながら、明らかに二人の分の額だったり。百合からの写真をもらってからの方がよっぽど違和感は大きかったわよ」
私は一息ついた。久々にこんなにたくさん喋ったかもしれない。でも今日はもう我慢しない。
宏斗は動揺しているが、百合の表情は変わらない。
「それは証拠にはならないから一応探偵も雇ったけどね。あなたたちが日にちを教えてくれているから探偵代は安くついたわ、ありがとう。関係ない人と写真撮ってもらって、大変じゃなかった?」
私は鞄から写真を何枚か出した。二人がホテルに入っていく姿もあるし、隣の席のおじさんグループに話しかける様子もうつっていた。きっと一緒に写真を撮ってほしいと依頼していたのだろう。
二人は返事をしてくれないので、私も続けることにした。
「それで二人はどうしたいの?わざわざ妻である私にこんな話をするなんて、何か言いたいことがあるんでしょう?」
「その……申し訳ない、別れてほしい!」
黙ったままでいた宏斗が緊張した面持ちでそう言うと、百合はさすがに感情が隠しきれなかったらしく顔が緩んだ。
百合は最初からこの展開を望んでいたのだろう。私はノンアルコールビールを口に含んだ。
そして、百合はすぐにその感情を隠し直してから涙を浮かべて言った。
「私、妊娠したの。……宏斗の子を」
「まあ」
芝居がかった声が出てしまったが、百合が妊娠していることは本当に想像していなかったのだ。
「それで……」
百合はそこで言葉に詰まりボタボタと涙を流し始めた。だんだんそれは嗚咽に変わっていく。
「もういいよ百合、ありがとう。俺から言うよ」
「宏斗、ありがとう……」
宏斗が男気を見せるようだ。その姿に百合は隣の宏斗の膝にそっと手を置き、そこに宏斗も手を重ねた。感動のシーンである。
「冬子、別れてほしい。もちろんその……冬子のことも好きだけど、ほら……俺、子供が欲しかったの知ってるだろ?冬子といても無理だったし……それで……」
本当に百合のことを愛しているのかイマイチわからない宏斗の言葉に、百合が微妙な顔をしているのに宏斗は気付いていない。女心がわからない男だ。
「冬子、本当にごめんなさい。私本当は入社した時からずっと宏斗のことが好きだったの。ずっと冬子がうらやましくて……本当にごめんなさい、宏斗を愛しているの」
営業成績が優秀な百合は男心を心得た発言をした。
「冬子……頼む!生まれてくる子供のために別れてくれないか」
「私のことは許してもらえるとは思っていません、償いはしっかりするから子供のことだけは許して欲しいの。私からもおねがいします!別れてください」
許すも何もそんな権限は私にはないのだが、涙を浮かべて許しを請う二人の前にいると私が悪者のようだ。流行りでいうなら悪役令嬢か。
「宏斗、実は私も今日は大事な報告があるの。聞いてくれる?」
私はカバンから産婦人科の封筒を取り出した。