一つの夜が紡ぐ運命の恋物語を、あなたと
「ここ、座ってください!」

 高校三年生になって間もない四月下旬の午後。電車内で読書に夢中になっていると、向かいから元気な声が聞こえてきた。まだ帰宅ラッシュには早い時間。車内は混雑しているというほどでないが、座席は埋まっていて立っている人も増えていた。
 なぜかその声の主が気になり、チラリと視線を上げる。向かいの座席には、お腹の大きな女性がお礼を言いながら座りかけていた。その横には、同じ沿線にある高校の制服を着た女の子が、ニコニコしながら立っている。制服の真新しさから、おそらく一年生なのだろう。初めて見かけた顔だった。

(躊躇なく席を変われるんだな……)

 自分にはとても真似できないと思ってしまう。
 この二年の間で席を譲ったことなど数えるほどだ。本にのめり込み過ぎて、周りに助けが必要な人がいることに気づけなかったり、気づいたとして逆にも迷惑ではないかと考えてしまいタイミングを失ってしまったり。それに気恥ずかしさもあり、あんなふうに声さえかけられない。席を譲るにしても、逃げるように席を立つだけだった。
 そのときはただ、年下の女の子の行動に感心しただけで終わるはずだった。なんでもない日常の一コマの光景。けれどそれから、不思議なくらい彼女の姿を見かけるようになった。
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