一つの夜が紡ぐ運命の恋物語を、あなたと
 彼は隣の席にいて、一番たくさん話した人だ。それにしてもよく覚えていたと感心してしまう。

「もちろん覚えています。あのときはありがとうございました」
「こちらこそ。楽しかったから記憶に残ってた。それに、人の顔と名前覚えるの得意なんだ」

 眼鏡の奥の瞳が優しく緩む。そう言えば最初からお兄さんみたいな雰囲気だった。

「それにしても、凄い偶然。結構ここ寄るけど、会ったの初めてだよね。たまたま来たの?」
「いえ。最近近くの園に就職して。いつもはもっと早い時間に寄るんですけど、今日は時間があって」

 他の人の邪魔にならないよう端に寄り、その場で立ち話を続ける。

「そうなんだ。僕も職場が近くなんだ。そうそう、もう一人。覚えてるかな? 阿佐永大智。あいつもすぐ近くで」

 表情が固まったことに気づかれただろうか。もしかしたら話題に上るかもとは思っていたが、覚悟する前にその名前が出てきてしまう。
 佐倉は人差し指を立て、天を指すように上に向けて言った。

「ここのビルの二十階。事務所の移転先、そこだったんだ。僕の職場もここから五分とかからなくて」

 その内容に凍りついてしまう。
 このビルの中にどんな会社が入っているかなど気にしていなかった。それに、もらった名刺に書かれていた事務所の住所は全く別の場所だった。

「と言っても、忙しいみたいで、滅多に会えないけどね」

 笑顔で話す佐倉を、由依は呆然と見上げていた。
< 161 / 253 >

この作品をシェア

pagetop