一つの夜が紡ぐ運命の恋物語を、あなたと
 また会えたらいいね、と連絡先を交換することもなく佐倉と別れる。逃げるようにその場を離れ、放心状態のまま家に帰った。

 樹は灯希にご飯を食べさせて、お風呂に入れているところだった。顔を合わせないように、真っ直ぐ部屋に入るとその場に座り込んだ。

「そんな……」

 信じられなかった。まさか大智が自分と同じビルで働いていたなんて。
 神様はなんて残酷なんだろう。これを運命だなんて喜ぶことなどできない。いったい何のために身を引いたのか。会ってしまえば、心が揺らいでしまうんじゃないかと怖くなった。
 けれど、ビル内には数千人が働いていて、会う確率はかなり低いはず。それにあれから二年が経つ。嘘の連絡先を教えた相手のことなど、もう忘れているだろう。
 薄暗い部屋でしばらく放心状態でいた由依の耳に、パタパタと軽い足音が届いた。薄い扉の向こうから、走りながらキャッキャと燥ぐ灯希の声が聞こえてきた。

「こら灯希! 風邪ひくって!」

 きっと裸で逃げ回っているのだろう。バスタオルを持った樹に遊んでもらっていると思うのか、いつも鬼ごっこみたいになっている。

(弱気になってちゃ駄目だ)

 両手で軽く自分の頰を叩くと立ち上がる。
 また会うことがあっても、まさか子どもが生まれたなんて考えもしないだろう。もしも彼が自分のことを覚えていたなら、嘘をついたことは謝ろう。それだけで終わるはずだ。
 そう、心を決めていた。
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