一つの夜が紡ぐ運命の恋物語を、あなたと
 市内にある峰永会を過ぎ、車は郊外へ向けて走っていた。そして遥か向こうにあった山が近づき、紅葉したその山の木々が鮮明に見えるその場所で車は止まった。

「大丈夫? 疲れてない?」

 運転していたのは彼なのに、気遣うように大智は尋ねる。

「はい」
「じゃあ……降りようか」

 お世辞にも明るいとは言い難い表情の彼に頷く。まだ彼は心の中で葛藤しているのかも知れない。そんな表情だ。
 運転席から降りた彼は、後部座席のチャイルドシートでぐっすり眠っている灯希をそっと抱え上げる。自分も後ろの席に置いていたお見舞いの花や果物を持つと彼に続いた。
 彼の祖母が入所しているという施設は、想像よりかなり立派だった。建物の周りにある花壇には、季節の花が美しく咲き乱れていて自然豊かだ。
 彼は慣れた様子で受け付けを済ませる。職員はみな顔馴染みのようで、彼は話しかけられるたび、自分のことを紹介してくれた。
 病院とはまた雰囲気の違う廊下は明るく、至るところに花や絵が飾られている。その廊下を、彼はまだ眠そうな顔で首にしがみつく灯希を抱えて歩いていた。

「この部屋だよ」

 一番突き当たりにあるナチュラルウッディの引き戸の前で彼は止まる。扉の上部には、"阿佐永咲子様"と掲げられていた。
 その扉をノックしようと、彼が手を上げたときだった。中から女性の話し声が聞こえてきた。

「お客様……ですか?」

 小声でそう尋ねた自分に、彼は腕を下ろすと首を振る。

「この声は……たぶん、叔母だ」
「叔母様……」

 ずっと聞こえているその声は、会話しているというより、一方的に何か話しかけているように聞こえる。そして断片的に聞こえてくるその内容は、自分にも覚えのあるものだった。
 彼がもう一度腕を上げようとしたところを、考える間もなく静止する。

「少しだけ……。待ってもらえないですか?」
「由依……?」

 不思議そうな顔を向けた彼に、その理由を話す。

「今、叔母様は絵本を読まれているみたいです。大智さんも、もしかして知ってるんじゃ……」

 耳を澄ますと聞こえてくる優しい女性の声は、昔居酒屋で彼や友人たちと会ったときにも会話に出てきた絵本を朗読していた。

「……ぐりとぐら……。みたいだね」
「はい。もうすぐお話しも終わりなので、待ちましょう」

 職場でも、家庭でも、何度も読み聞かせたことのある話は、すっかり頭の中に入っている。
 物語は終盤。集まってきた動物たちの前で、出来上がった"かすてら"の入る鍋のふたを開けたところだった。
< 242 / 253 >

この作品をシェア

pagetop