一つの夜が紡ぐ運命の恋物語を、あなたと
 ほんの一分とかからず、扉の向こうから「おしまい」と聞こえてきた。そこから一呼吸おくと、彼は扉をノックした。

「はーい! どうぞ」

 思ったいたより元気な声が返り、大智はゆっくりと引き戸を開ける。部屋の中に入ると、絵本を手にした小柄な女性がベッドサイドの椅子から腰を上げた。

「お邪魔します。由紀子さん」
「あら! 大智さん!」

 叔母だと聞いていなければ、どんな間柄か想像もつかなかっただろう。彼女は姉と言っても通用しそうなほど若々しい女性だった。ショートカットの黒髪にトレーナーとジーンズという、格好はかなりカジュアルな装いだ。峰永会の理事長夫人と言われても、全くピンと来ないだろう。
 そんな彼女と目が合うと、ニコリと笑みが返ってくる。

「初めまして、由依さん。お話しは夫から聞いております。大智さんにお似合いの素敵なかただって、夫も嬉しいそうで!」
「初めまして。あの、これ。よろしければお祖母様に……」

 戸惑い気味の自分の手からそれを受け取ると、彼女はそれを持ってベッドサイドに戻った。

「お義母(かあ)様! 大智さんがお見えですよ。お見舞いもいただきました。美味しそうな果物と綺麗なお花ですよ」

 さっきの朗読もそうだったが、呼びかけるその声はかなり大きい。そうしないと、ベッドに横たわるその人に届かないのだと思う。はっきりした口調で、ゆっくりと話しかけていた。
 ベッドを覗き込んでいた彼女は、体を起こすと果物をサイドテーブルに置き、代わりに花瓶を手にした。

「私はお花を生けてきますね。お義母様にお顔を見せて差し上げてください」
「ええ。お願いします」

 叔母を見送ったあと、大智は自分に視線を向けた。促すように頷くと、彼と共にベッドに近づいた。

「お祖母様。おかげんはいかがですか?」

 彼が声をかけると、虚な表情の彼女は、見つめていた天井からゆるゆると視線を動かした。そして彼を見ると、何か言いたげに唇を動かしていた。
 ここに来る前から、祖母とはほぼ意思の疎通は難しいと聞いていた。彼女はずっと彼のことを、自分の息子だと思い込んだままということも。それでもケジメとして、祖母に一目でいいから自分の妻と息子を会わせたい。それが彼の願いだった。

「大……智……」

 消え入るような小さな声で、彼女は確かにそう言った。彼は驚いたように目を見張ると、祖母に呼びかけた。

「そうです。大智です、お祖母様」

 必死でそう話す彼に、彼女はゆっくりと顔を動かしていた。
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