一つの夜が紡ぐ運命の恋物語を、あなたと
一章 一夜の幕開け
 九月に入ったばかりの金曜日、時間はまもなく午後七時になるところだ。高級路線を売りにしている居酒屋の半個室で、由依はスマートフォンの画面を眺めながら溜め息を吐いていた。

(たっちゃん……遅いよぉ……)

 今は部屋に誰もいないとは言え、一人で来ることなどない居酒屋で待ちぼうけを食らい、由依は心細くなっていた。居た堪れない気持ちでつい身を縮こませていると、画面に"佐保(さほ)(たつき)"の文字が浮き上がりスマホが震え出した。

「もしもし? たっちゃん?」
『由依、ごめんっ!』
 
 出るなり謝られ嫌な予感がする。今まで樹と外で会う約束をして、破られたことなど一度もない。だからこそ、切羽詰まった様子の樹の声にそう思うしかなかった。

『どうしても今日は行けなくなった。本当にごめん!』
「たっちゃん、そんなに謝らないでよ。仕事なんでしょう? 私は大丈夫だから」

 樹は新進気鋭の服飾デザイナーとして業界で活躍している。時々話しに聞くだけでもかなり忙しいのは容易に想像できた。なのにその合間を縫って自分と会ってくれているのだ。

『埋め合わせはまた近いうちにするな? そこ、もう決済は終わってるからちゃんと食って帰れよ? それから遅くなる前に気をつけて帰るんだぞ』

 幼い頃からの知人で八つ年上の樹は、とっくに成人している由依をいまだに子ども扱いしている。兄というよりすっかり過保護な父親になっていた。

「うん。遅くならないうちに帰るから」

 由依が明るく返すと、樹は安心したのか『また連絡するな。じゃ』とだけ短く言い電話を切った。
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