雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

◇ リスター侯爵の出会い

 

◇◇


 変わった令嬢がいる、それが彼女の第一印象だった。


 ・・

 今夜も煌びやかなホールにいた。本当は全く足を運びたくない場だ。
 結婚など出来ないと分かりながら、条件を突きつけた母の表情は忘れられない。領地に戻ることだけは避けたい。私が戻れば、妹はきっと母にとって都合のいい家に嫁がされてしまう。妹と親友のためにできることはとにかく時間を稼ぐことだ。

「はじめまして」と声をかけてきた令嬢は華やかな方だった。どこかの伯爵家の令嬢だそうだが、私は笑顔を返しながらそっと距離を取った。
 適当に理由をつけて誘いを断ると、壁の近くであまり目立たないようにする。
 もう三度目の参加だ。夜会に出席した事実だけ重ねても仕方ない、まだ猶予は半年あるとはいえそろそろ候補くらい見つけたい。

 先程話した伯爵令嬢の残り香で気持ちが悪くなってきた。あの女の香水と似ているからだ。ああ、忌々しいあの記憶がよぎる。吐き気が込み上げてきて、なんとか息を整えていると視線を感じる。

 一メートル先の女性がこちらを見ていた。美しい人だ。
 ダイヤモンドのように輝く銀髪にパールのような透明感のある肌、そしてルビーの瞳。しかしそのルビーは暗く輝きはない。どこか陰があるご令嬢だ。
 とりあえず目があったので笑顔を作って会釈をしてみるが、下から睨みつけられた。

 初対面の女性に睨みつけられたことに驚くが、なんとか顔に出さずには済んだ。もしかして何か私に恨みを抱いているのだろうか。どこかで見たことがある気がする。でもこんな美しい令嬢なら忘れられないと思うけど。

 もう一度彼女を見ると、目は合わず彼女はホールで踊っている男女を見ていた。
 すぐに他の令息に話しかけられていたが、私と同様鋭く睨みつけている。私に恨みがあるわけではなく誰に対してもそうなのかもしれない。

 私の吐き気はいつのまにか薄れていた。


 ・・

「やはり舞踏会で探すのは難しいのでは?こちらの条件を受け入れてくれる方と政略結婚をするしか」

 帰宅後、カーティスが難しい顔でお茶を淹れてくれる。

「母は相手の家柄も限定しているからな……」

 爵位が高くても貧乏はダメ、裕福でも下位貴族は許さない、と条件をつけられている。

「借金を肩代わりするだとかもできませんからね。名家のお嬢様となると、こちらの条件を一方的に飲んでくれる方はなかなかいないでしょうね」

 スキンシップは禁止、子供も見込めないとなると、相手にも何か大きな事情がない限り、受け入れられないだろう。

「中にはレイン様と同じ事情の方もいるかもしれないですけど……お互い宣伝してまわるわけにはいかないですしね」

「私の体質は噂が回ってしまえば終わりだからね。ある程度事情を話すにしても口が堅そうな令嬢しか無理だろう」

 とはいえ事情を話したところで、名家のご令嬢が、子供を作ることができない男を受け入れてくれるとは思わなかった。

「条件さえなければ、リスター家のスノープリンスなんて最高の相手なんですけどね。顔よし、家柄よし、資産もある。いっそのこと事情を話さないというのは?」

「事情を隠して結婚するつもりはない」

「レイン様は真面目ですねえ。何かと理由をつけて触れないだけでいいんですからなんとかなりそうな気もしますけど」

「隠すのは不誠実だし、不必要に触られても困る」

 それに、恋をされても困るのだ。
 欲情した瞳、返せない気持ちをぶつけられる恐怖。
 もうあんな恐ろしい思いはしたくない。

「そうですね、貴方は……」
 と言ってカーティスは黙った。カーティスはあの日より前からずっと私に付いてくれている。私の絶望を知っているから、それ以上は触れない。

「何か事情があるご令嬢を私も探しておきます」

「ああ、頼む」

 しかし事情とは、他の人にあまり知られたくないことだ。探したところで簡単に見つかるとは思わなかった。
 そしてどういう事情がある令嬢ならば自分と結婚してくれるのかもわからなかった。


 ・・

 次に参加した舞踏会にも彼女はいた。
 気になって少し目で追っていると、ちょうど彼女に話しかけた令息が撃沈したところだった。
 何人か話しかけられても無言で視線を逸らすか、睨むか、はたまた口をパクパクさせるだけか、で誰かと会話は成立していないようだ。

 軽食を食べている彼女に近づいて「やあ、また会ったね」と声を掛けてみる。彼女は口を歪めながらこちらを見ただけだった。

 それから何度も彼女を目にした。いつのまにかブリザート令嬢だなんてあだ名もついているらしい。噂好きの令嬢たちが私に教えてくれた。

 もしかすると彼女は私と同じ事情があるのかもしれない。

 呪うだなんて言われているけれど、とんでもない。あれは怯えているだけだ。
 はじめは睨みつけられたし、嫌われているのかとも思った。しかし彼女の身体は常にこわばっていた。必要以上に肩に力は入っているし、手の色がなくなるほど拳を握りしめて、唇を噛みしめすぎて血が出ないかと心配になるほどだ。

 私は、女性が怖い。だから笑顔でかわして、うまく距離を取る。踏み込まれないように。
 でもそれができるようになったのはしばらくたってからだ。彼女は十五歳の時の自分だ。

「カーティス、気になる令嬢がいるんだ」

 私が帰りの馬車でそう伝えると、カーティスは「ついに!」と叫んだ。

「ついに恋が始まりますか?」
「いや、違う。私と同じように異性が苦手そうなご令嬢がいるんだ」
「どちらのご令嬢ですか?」
「話ができていないからわからない。でも毎回異なる上質なドレスを着ているから少なくとも金銭的に困っている家ではないと思う」
「レイン様が話せていないだなんて珍しいですね」

 不器用な彼女を思い出す。苦手なものをうまくかわせずに真正面からぶつかって固まってしまう彼女を。
 彼女にとっては私も畏怖の対象なはずで、彼女の心を思うと話しかけることができなかった。

「うん。とにかく彼女について調べておいてほしい」

 ・・

 答え合わせはすぐにできた。
 魔法省に研究所の職員としてやってくるとは思わなかった。どこかで見たことがある女性だと思ってたけれど今まで職場ですれ違っていたのかもしれない。

 舞踏会で会った時とはまるで別人だった。
 口元を歪みながら睨みつけてくるのは変わらなかったが。美人が台無しになるほどおかしな表情だが、それがきっと彼女なりの笑顔だと気づくと可愛らしく感じる。不器用なりに一生懸命頑張っているのだろう。

 そして彼女はフォーウッドと名乗った。あのフォーウッド家ならば家柄的にも資産的にも都合がいい。しかもフォーウッド家ならば……。
 しかしそんな名家のご令嬢がこんな場所で働いているのだろうか。いや彼の孫なら魔法研究所は考えられるか、と色々と思考がめぐっているうちに時間は過ぎた。

 しかし、彼女が家の都合で結婚相手を探していることはわかったし、嫌われているわけでもなさそうだ。
 カーティスの調査が終われば一度彼女と話し合いの場を設けてもらおうと考えた。
 彼女は男性が苦手かもしれないから、女性の使用人をその時だけでも雇わないといけない。

 私は慎重な方だと思う。事前の調査は怠らないし、先に根回しや外堀を埋めてから行動する。
 彼女との話し合いに向けても慎重に確実に行動しようと思っていたのに。

 カーティスからの報告もまだで、彼女とろくに会話もできていないのに、

「セレン嬢。貴方の結婚相手、私というのはどうだろう?」

 と勝手に言葉がこぼれてしまっていた。こんな突発的な行動を取るだなんて。

 でも、彼女がやはりあのフォーウッド家のご令嬢で、仕事を続けたくて、触れても腕に変化はない。
 それらが揃った時に、彼女以上の人はいないと思ってしまったのだから。そしてあの不器用な笑顔らしきものに好感を抱いていたから。



・・


 夕食後、恒例となったスキンシップ治療をすることにした。
 事情を全て話していなかったというのに、セレンは受け入れるだけでなく、一緒に改善してくれようと毎日協力してくれている。

 先日の握手は五分までクリアした。分厚いグローブをつけて、だが。
 次の私たちへの課題は「手を繋ぐ」
 握手と違ってぐっと恋人らしいスキンシップになる。

 なんとなくハードルが高く感じるのは、ただ触れる、だけでなくその先に繋がる行為を連想してしまうからだ。
 いや、手を繋ぐなんてただエスコートするため、踊るためだ、と自分に言い聞かせる。恋人でない人でもすることだ。

「触れる面積的には握手と変わりませんからね。むしろぎゅっと握る握手より密着もしていないですし。理屈上では問題はないと思ってやりましょう」

 カーティスはそう言って先日と同じ分厚いグローブを渡してきた。
 隣りに立つセレンが小さく頷いてくれるから、グローブをはめた私はセレンに手を差しだした。

「セレン」

 小さな声で呼ぶと、彼女はそっと手を乗せてくれる。私の手は緊張していて随分冷えていたのだろう。セレンの手がやけに温かい。私は親指をセレン甲に乗せた。

「はい、五秒たちました!」

 カーティスのカウントで私たちは手を離した。グローブを外して確認するが、特に変化はなさそうだ。誰かと手を繋いだのは七年ぶりだ。

「どう?」

 心配そうにセレンが私の手を覗き込む。手を見せると彼女はホッとした表情を浮かべた。
 セレンの表情はいつでもほとんど変わらない。しかし彼女は根は素直な人だ。顔を見なくても身体の動きで伝わるものがあった。

「今のところは問題なさそうですね。それでは経過を見ましょうか。何かあれば呼んでくださいね」

 カーティスはそう言って自分の仕事に戻っていく。
 先日セレンから卵をもらった、それさえ押せばカーティスに通知がいくようになっている。しかし……

「セレン、君が探していた魔法生物の論文をを見つけたんだけど読まない?」

 私の言葉にセレンの動きが止まるのを見逃さない。

「行くわ!」

 笑顔こそないけれど、口調は明るい。よかった、喜んでくれた。

「私の同僚が魔法生物について調べていてね、たまたま持っていたんだ」
「あなたの職場の方はなんでも持っていらっしゃるのね」
「魔法省にいる人間なんて、魔法が好きな貴族ばかりだからね。君のお祖父様のように集めるのが好きなんだよ」

 ――存在しない同僚だ。魔法生物の申請に来た研究者に何人も相談をしてなんとか探し出したのだ。

 部屋に入り、論文を渡すと彼女はソファに腰掛けてそれを読み始めた。セレンの研究に使えそうな物らしい。
 セレンはいつも読み始めて数分立つと、自分の世界に入り込む。こちらが近くを動いていても全く気にならないようだ。

 私はいつものようにお茶の用意を頼んでからソファに座った。
 セレンは真剣に読み込んでいるから、多少苦労してでも見つける事ができて良かったと思う。

 こうやって彼女にあれこれ探してくるのは初めは罪滅ぼしの気持ちだった。
「触れるな、触れない」という女性にとっては厳しい条件を受け入れてくれた。それならばせめて家族として大切にしようと思ったのだ。

「優しくされたらレイン様のことを好きになりませんか?愛を返せないのに優しくするのは残酷でもありますよ」とカーティスに言われた。

 しかし彼女は愛することに怯えていた。今彼女が必要なものは恋人のような夫よりも、誠実さなのではないかと思った。
 愛せないと突っぱねて適度に距離を取るのも優しさだとは思うけど、家族として大切にしたいと思うのは間違いじゃないはずだ。

 と思ってはいるのだが、心からの自信はなく。小手先の罪滅ぼしで彼女が求めているものを探してきているというわけだ。情けない話だが。

 でも、それだけじゃない。
 魔法のことになると子供みたいに見える彼女を見たかったし、こうやって一緒に過ごしたい、そんな気持ちもある。結局それは自分のためでもあるが。

 手の中で卵を転がす。今まではスキンシップを試した後の待機時間にセレンと過ごせたのに、言い訳がなくなってしまった。便利なものは利点だけではないようだ。

 気づけば紅茶が運ばれてきて、部屋に香りが充満する。
 私とセレンの距離は、壁の花時代から変わらず一メートル。この距離が今は心地良い。
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