雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
15 青い世界の中で
あの日から二日たち、私たちは海沿いのリゾート地に来ていた。
誘拐の翌日、職場では大変な騒ぎになったらしい。
それもそうだ。副所長が歪んだ愛憎の末、社員を誘拐監禁したのだから。投獄までされてしまったので皆が知ることになった。
私が出勤すれば、どうしても注目を浴びてしまう。所長の配慮で、新婚旅行の休暇を早めることになったのだ。心が落ち着くまでは休んでいてもいいとも言ってくれた。
レインの職場も快く許可してくれたので、私たちは予定よりも早くここにいる、というわけだ。
二日前に木箱に閉じこめられていたことからすると信じられないほど、開放的な場所だ。到着して私たちはまず散歩に出ることにした。
「セレン」
馬車から降りたレインは当たり前のように手を差し出した。今日も手袋はしていない。
私は手を乗せて、馬車を降りた。降り立った後も自然にレインは手を繋いでくれる。
「わあ」
馬車から見る海も素敵だったけれど、実際に歩いてみるともっと素敵だ。
海岸沿いは白いレンガの道が続いていて、青い海や空とのコントラストが美しい。周りを囲んでいる建物も白で統一されている。
海の方を向くと、青や黄色の鮮やかな船がたくさん浮かんでいる。
少しだけ肌寒いから、海に入れるわけではないけれど見ているだけで爽やかな気持ちになる。
「昼食を食べてから船に乗ろう」
「船に乗れるのね」
「セレンが嬉しそうでよかった」
レインは目を細めて私を見つめる。やっぱりレインは私の感情を読み取る天才らしい。
「うん、嬉しい」
「ならよかった。昼食なんだけど、実はどこで食べるか決めていないんだ」
レインは海から一つ入った通りに進んだ。ここも白い建物が並んでいるけど、おしゃれな看板がかかっている。どうやら色々お店があるようだ。
「この辺りはお店が多いから見てから決めようと思って」
「そうしましょう」
きっちりしているレインのことだから既に色々予約してくれていると思っていた。見慣れないお店が並んでいると、選ぶ楽しさが嬉しい。
カラフルなドリンクが並んでいる店、瑞々しいフルーツが飾ってある店、香ばしい匂いのパン屋。店内に入らなくても商品を並べている店もある。通りを歩くだけで満たされてる。
「せっかく海沿いだし、シーフードの店にしない?」
「いいわね。……あ、ここは?」
私の前にある店を見上げると、海老が大きく描かれている看板がかかっている。店構えはシンプルだけど、清潔感があって雰囲気はよさそうだ。
「いいね、ここに入ってみようか」
・・
「おいしかったね」
店の外に出てレインが言った。
「とても。……でも――」
私がそう言うと、レインは声を出して笑った。
私たちはシーフードが美味しいお店だと思って入ったけれど、海老はこの店のイメージキャラクターだっただけらしくピザ屋だった。
とってもおいしかったけど、海鮮を使ったピザさえなくて。
シーフードを食べる気満々で入ったのに、違ったことがなんだかとてもおかしかった。
お店の人に失礼になるかしらと思って、食事中はお互いそのことには触れずにピザを食べたのだけど、
「完全に勘違いしてたね」
とレインが楽しそうに笑うから、私もつられて笑った。そう、自然と。
「セレン」
笑っていたレインの目が丸くなって、彼は歩みを止めた。
「あ、私――」
「うん」
レインが穏やかなまなざしを向けるから、恥ずかしくなる。
「あ、笑顔が終わっちゃった」
「レインがじっと見るからよ」
「うん、だって嬉しかったから」
レインは私の手を取って、もう一度歩き始めた。
「間違えちゃってごめんなさい。シーフードの気分だったでしょ?」
「あれは勘違いするよ。それにすごくおいしかった、間違えなければ出会えない店だったからね」
レインはにっこり笑ってくれるから、私の胸は軽くなる。
「それにセレンの笑顔まで見れたから、海老に感謝だよ」
「ふふ、ありがとう」
今度はさっきみたいな自然な笑顔は作れなかったけど、レインは微笑み返してくれる。
レインといると、いつでも気持ちが明るくなる。楽しい気持ちにさせてくれて、ほら、足取りも軽くなる。
・・
私たちを乗せたイエローの小さな船がどんどん海を進んでいく。
「結構スピードが速いのね」
白い建物たちが遠くなっていく。そして青の世界に向かう。空と海だけが広がり、見渡す限り青だ。少し冷たい風は頬に当たっては流れていく。
「不思議な感覚だな」
遠くに岩壁は見えるけれど、それもずいぶん遠くて。青の中を進んでいくと本当に現実なのかと思ってしまうほど。
船員はいるけれど、レインと二人きりの世界にいるみたいだ。
「あ、カーティスたちの船だわ」
青だけだった景色に、カーティスたちのグリーンが浮かんでいるのが見えた。
「この船にまだ乗れるのに」
「新婚旅行なんだからできるだけ二人きりに、だそうだ」
「こんなところまで気を遣ってくれているのね」
海の上で出会う知り合いというのはなんだか面白い。
遠くに見えるカーティスに手を振ると、振り返してくれる。
「あんまり身を乗り出さないようにね」
お尻を少し浮かせて外を見ていた私にレインが兄のように注意をしてくれたかと思うと、船はカーブに差し掛かったようで私の身体はバランスを崩す。
「……あ」
曲がった拍子に私の身体はぐらつき、右肩が少しだけ寄りかかる形になってしまった。咄嗟に支えようとレインも私の腕を掴んでくれている。
「ご、ごめんなさい」
すぐに離れようとするけど、レインは手を離そうとしなかった。
「大丈夫な気がするんだ」
「えっ?」
「もう少しこのままでもいいかな」
「でも……」
「今のカーブは折り返し地点だったから何かあっても大丈夫。それに自分の身体のことは、なんとなくわかるよ」
レインは穏やかに言うと私の腕から手を離した。
あまり寄りかかるのも、と思って身を正す。私の右肩とレインの左肩はほんの少しだけ触れ合っている。
船の風で少し肌寒いからだろうか、肩の温度がやけに熱く感じられた。
・・
夜、私たちは同じ部屋にいた。
カーティスたちの分も合わせて三部屋予約していたはずが、宿泊施設の方が新婚旅行と聞いて気をまわしてくれたらしい。
海の見える一番素敵な広い部屋を、私とレインに用意してくれていたのだ。
レインは少し悩んで、私と同じ部屋にすると言った。
そういうことはしない、とわかっているけれどそれでも私たちの間には緊張が漂っている。身を清めた後だから余計に。
「四人くらい眠れそうなベッドね」
「カーティスたちも一緒に寝れるくらいだな」
レインは笑ってくれるけれど、どこかぎこちない。
「明日は別の宿だし、ちゃんと分かれているはずだから。ごめんね」
「いいえ、大丈夫よ。……それに私たちは、その……夫婦だし」
「明日も行くところはあるし、早めに寝ようか」
今日は移動も長かったし、たくさん歩いたから確かに疲れている。
私たちはそれ以上なにも言わずベッドに入り込んだ。
お互い端に寄るから、ベッドの真ん中に大きな空洞ができた。カーティスが二人入れそうだ。
レインの方をちらりと見ると、私に背を向けている。まだ眠ってはいないだろう。
ふと、前世を思い出した。前世の淋しい夜を。
「今日は疲れているから」を繰り返して、背中を向けられた時のなんともいえない気持ちを思い出した。
でも、今夜はそんな気持ちにはならない。
手を伸ばせば触れられる距離にいるけど。別に触れなくても、いい。
レスられていた時、悲しかったのは。心が埋まらなかったからだ。
心に空いた寂しさを埋めるように手を伸ばして、その手を払われるて余計に穴が広がった。
でも、レインといると。私の心の中に隙間が見当たらない。いつも満たされて安心できる。
だから触れなくてもいい。こうして隣にいてくれるだけで嬉しい。
そんなことを思って目を瞑ると、胸の中に柔らかい気持ちが広がっていく。
だけど……そう思っていたのは、私だけだった。
「……っはあ」
目を瞑ってウトウトしかけた私の耳に苦しそうな呻き声が入ってきた。
「……レイン?」
返事はない。
「はあはあっ……」
「レイン!?」
慌ててランプをつけると、そこには苦しそうに喘ぐレインがいた。
身体を縮めて、額には脂汗が浮かんでいる。そして、赤い発疹が……。
「またショックを起こしているの!?」
私は急いでベッドの隣の机に置いている卵を握った。