雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
 
「なんだこれ?契約書?」
「同じ書類が二枚映ってる」
「いや、同じ物じゃない……?」

 ゲストが口々に疑問を声に出した。シーツに映し出された物は二枚の契約書だ。一見、同じ物が二枚用意されているように見えるが、実は契約者のサインなど細かい部分が異なる。
 不思議そうに「なんだなんだ」と言い合うゲストの中で、役人の一人だけ表情が強張るのを見逃さない。

 次の書類を映し出すとまた別の一人が「あ……!」と声をあげた。三回目に映し出す頃には「やめなさい」とアナベル様が低い声を出した。彼女は戸惑って固まっていたがようやく私たちの意図に気づいたみたいだ。

 もちろん止めるつもりはないので、私とカーティスは次の書類を映し出した。また一人表情が変わる。次は自分の番だと自覚している者もいるらしく、人混みをかき分けて私たちに向かってくるのが見えた。

 私とカーティスは浮遊魔法を使ってその場に浮かび上がり、私は指を壇上のシーツに向けた。
 アナベル様がシーツを回収しようとしていたから空中に避難させて、次の画像も映し出す。

「何のことかわからない人の方が多いでしょうね」

 さらりとしたレインの声がざわざわとした会場に響く。

 私たちの元に向かってきた人たちは、護衛や騎士に捕らえられている。その場で顔を青くしながら固まっている人々の周辺にも騎士が張り付く。

「他領の方もお越しになっている中で、身内の恥を晒すのは情けないことなのですが。一度に膿を出しきるために申し訳ございません」

 レインが発した言葉にざわついていた場はシンと固まる。

「こちら二枚あるのですが、一枚は前商会長の不正の証拠として提出されたものです。領地内の工場や組合から賄賂を受け取っているという不正の告発と共に多量の証拠書類が見つかりました」

 レインは説明を始め、アナベル様をちらりと見るが彼女は表情を変えずに黙ったままでいる。

「そして、あなたが管理していた書類の中から、前商会長の不正の証拠としてあがってきた物と似たような物……いやほぼ同じものが出てきました。金額は全く同じです。そしてわずかに違っていて……例えばこの賄賂の受取人は前商会長ではなく、あちらの役人になっていますが」

 レインはアナベル様からゲストに目線をうつした。その先にいる役人は途端に顔を青くする。

「ここ数年の自分たちの悪事を全て前商会長に擦り付けたようですね。皆さんがサインした原本はここにありますので大丈夫ですよ、焦って逃げなくても。
 全ての書類は集め切れていませんが、二十名も検挙されれば全ての不正が明らかになるでしょうから。後ろめたい覚えのある方は後ほどご自身で報告してくださいね。その方が罪は軽くなります」

 レインの言葉に顔色が変わる人間が何人か増えた。高いところにいると表情がよく見える。それにしてもどれだけの人間が欲に負けて汚い金を手にしていたのだろう。


「あら、そうだったの。裏は取れたの?」

 再び訪れたざわめきの中で、本日の主役は涼やかな声で言った。アナベル様は落ち着き払った表情でゲストを見渡している。

「ええ。賄賂を渡していた工場側は認めましたから」
「騎士団が囲っている者が不正した者ね。あら、工業組合長もいるじゃない。せっかくのパーティーなのにそんな人たちを招いてしまっていたなんて。連れていっていただいて結構よ」
「アナベル……!」

 組合長が叫ぶのが見えるがアナベル様は気にせずに「前商会長が投獄されたから安心していたのに……こんなことになっていたのね」と悲しい顔を作ってみせた。

 契約書自体は彼らのサインのみでアナベル様が関わっていない。書類が見つかった場所は、普段から契約書類が管理されている商会なのだからアナベル様とジェイデン様は知らなかったことにもできる。彼女が関与した決定的な証拠書類はない。

「前商会長が資源を横流しして莫大な収入を得た、そんな密告と不正書類を受け取りました。しかし資源が流れた形跡はなく、前商会長が受け取ったはずの収入と同額がギリングス家に支払われています」

 レインはアナベル様を気にすることなく淡々と続けた。主賓の席で他人事のように傍観していたギリングス家に皆の視線が集まる。カーティスがギリングス家との契約書を差し出し、私はそれをシーツに映し出した。

「あらそう。前商会長の件と同額だったのは偶然じゃないかしら。こちらは裏が取れていないんでしょう?」

 アナベル様はそう言って微笑んだ。前商会長は資源を流してもいないし、費用を受け取ってもいない。前商会長の取引相手は存在しないのだから。そしてそれを証明する事はできない。

「ギリングス家と今まで取引はなくアプリコット鉱石の輸入から関係が始まるはずでしたね。それなのにギリングス家との二年前の契約書が見つかり、更に不正として上がった額と同額なのはどういうことでしょうか」

「私に聞かれても。たまたま、偶然、そんなこともあるわね。どうしてギリングス家に支払ったのかは……私は知らないから前商会長に聞いてみればどうかしら。ほら支払いの手続きを行ったのは前商会長になっているわよ」

 前商会長は話せる状態ではないことを知っていて、アナベル様は小さく笑った。彼にどうやってサインをさせたのか、答えを知るものはいない。

「父が亡くなった時期と支払いが始まった時期が一致しています」

 会場に再度沈黙が訪れる。バーナード様の死。それは彼らにとって大きな出来事であったのだろうから。

「まさかギリングス家が事故に関係してるとでも言いたいの?すごい言い掛かりね」

 アナベル様が片眉を上げてレインを非難すると、ギリングス辺境伯も「リスター侯爵とあろう方が」とあきれた表情を見せた。

「侯爵はご自身の領地のことを何も知らないらしい。私たちはずっとリスター領と取引がありますよ。先代のバーナード侯爵が亡くなった時期と支払い開始時期が一致しているのは当たり前です。彼が亡くなるまでは直接バーナード様とやり取りをしていただけですから。彼の死後、商会を通すようになったのです」

「これは事実よ、残念ながらね。あなたの父の書斎があるでしょう。あそこにバーナードとギリングス家とのやり取りが入っているから確認してごらんなさい。捏造を疑うなら今から騎士団を派遣してもいいのよ」

 そこまで言い切れるならアナベル様の言葉は事実なのだろう。ギリングス辺境伯もアナベル様も涼しい顔をしているから、ゲストのざわめきがまた広がっていく。

「そうでしたか。父の時代から取引があったということは勉強不足でした。商会を通していなかったということは何か父は後ろ暗い契約でもしていたのでしょうね」

「まだ言うか。レイン・リスター侯爵、あまり酷い言いがかりをつけるなら私たちも然るべき対応をさせてもらう」

「失礼しました。しかしギリングス家が殺害に関与した証拠はあるのですよ、そしてそれを貴女が頼んだと言うことも」

「なに……」

 レインはアナベル様に目を向けず、私たちに向かって合図をした。空中に浮かんだままだった私は扉に向かって指を向けた。指に合わせて会場の扉が開く。


 そこにいたのはセオドア様が付き添った、ジェイデン様と一人の青年。


「お前は……」


 ギリングス辺境伯とアナベル様は言葉を失った。同時に表情を失ったようで口をだらしなく開けている。


「見覚えがあるでしょう?バーナード様が亡くなった時の従者です」


 レインがそう言うと、ジェイデン様は穏やかに微笑んだ。


「この男と私がバーナード・リスター様を殺しました。アナベル様とギリングス家に命じられて」

 ジェイデンの落ち着いた声が響いた後に「嘘よ!」とアナベル様が叫んだ。ギリングス辺境伯は「バカバカしい、付き合ってられない」と席を立ち、夫人と息子を連れて外に出ようとする。


 そんな彼らの前に立ちはだかったのは、王都から派遣された騎士団だ。

「ギリングス辺境伯。国王からも話を聞きたいと要請がありましたので、王都までご同行いただけますか?」

「国王?」

「ええ。リスター家だけでなく貴方が関係した事件についての報告がいくつか来ております。魔法省からも申請が出されていない魔法生物や、魔法具の事故など問題があがってきていまして。とにかく王都まで同行ください」

 騎士団は彼の返事を聞くこともなくギリングス辺境伯の両隣を囲んで、そのまま会場の外に連れ出していった。残された夫人と息子も慌てて会場から出ていく。


 壇上には一人アナベル様が残されたまま。

「……ジェイデン、撤回しなさい。そんな嘘ついてどうするのよ」

「真ですから」

「貴方だって投獄されるのよ!」

 アナベル様が鋭く叫ぶが、ジェイデン様は凪いだ表情でどこかを見つめたまま返事をしない。

「レイン様!アナベルは悪女です!私たちは彼女に唆されて金銭を受け取っただけです!」
「そうだ、それに受け取った金の一部は彼女に渡している!」
「アナベルに脅されてやったことです!」
「私たちは騙されたんだ!全てあの女の計画だ!」

 目の前の出来事に圧倒されて固まっていた有力者たちは主張を始めた。ギリングス家とのやり取りの間に彼らは騎士団によってひとまとめにされていた。
 先程までしおらしくしていたのに、一人が叫べば我も我も後に続いていく。叫んだところで己の罪が軽くなるわけでもないのに。

 アナベル様に溺れ、汚い金を手にしてきた醜い者たち。
 アナベル様は喚く彼らを蔑んだ目で見下す、もう彼女に熱い目線や甘い声を送る者は一人もいない。
 欲で繋がった関係は脆く、一瞬で彼女の築いた理想の国は崩れさった。


「アナベル、書類としての証拠はなくてもこれだけの証人がいるのなら貴女は罪からは逃れられない」

 喚く男たちを冷たい目で見たレインは一歩前に出て、アナベル様に最後の言葉をかける。

「私は無罪よ」

「その話は王都で聞いてくれると思うよ。どちらにせよ貴女の居場所はもうリスター領にはない」

「……!」

 アナベル様は突然顔をあげると空中に浮かぶ私を睨み、私に向かって手を伸ばした。まさか!そう思った時には、既に彼女の手から氷の刃が放たれていて私目掛けて飛んでくる。

「セレン!」

 慌てて手を胸の前にかざすと、私の目の前に大きな氷の塊が現れてアナベル様の放った刃は塊にザクッと刺さった。……一部貫通してお腹に刺さっているけれど、このドレスはお腹にレインのアレルギー対策のハンカチを仕込んでいたからなんとかセーフだ。

 ふうと息をつくと地上に目を向けると、なんとレインがアナベルに飛びかかっていた!

「レイン!」

 レインはアナベルを抱きしめるように覆いかぶさる。それじゃ発作が出てしまう……!

 彼女もレインの行動に驚いた後、私をもう一度ギッと睨んだ。女の恨みは女に向くらしい。レインと揉み合いながらも私に向かって再度刃を飛ばす。
 私ももう一度氷の塊を作って前に放った。空中で塊は刃とぶつかり刃を粉々にするけれど、勢いが止まらない塊は醜い有力者たちの上にうまいこと落ちてくれた。あまりにも喚いていたのでこれで静かになることだろう。

 駆けつけた騎士がアナベル様を魔力を封じるロープで縛り付けたのを確認して、私は地上に降り立った。

 アナベル様は汚い男たちよりも断罪したレインよりも私に殺意を向けている。レインの行動だけで、私たちの本当の関係に一瞬で気づくのは、彼女がレインを歪んだ形といえど愛しているからだ。

「呪われたままでいなさいよ」

 アナベル様は連行されながら、私たちに呪いの言葉を吐いた。
 彼女の姿が見えなくなってからレインは「ご心配なく」と扉に向かってつぶやいた。
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