新そよ風に乗って 〜慕情 vol.1〜
そうはいっても、会社で嫌が応でも顔を合わせているのだから、普通に接しなければならない。 仕事は、仕事として……無論、高橋さんも退院して出社してからも、何時もと変わらずに接してくれている。
上司と部下。 この関係だけで、今も傍に居られる。 でも、この関係がなかったならきっと……上司と部下の関係を時に疎ましく思っていたこともあったが、今はとてもそれが複雑な思いに変わっていた。 良いような、悪いような。 顔が見られる。 仕事としての会話は出来る。 でも、それは上司と部下だから。 他の女子社員と何ら変わらない、自分の存在。 仕事中、いけないと思ってもそんなことを考えてしまい、ふとした瞬間にも油断していると直ぐ涙が出そうになってしまう。
あの日以来、ますます涙腺が緩くなってしまったようで、仕事が終われば一目散に家に帰っている。 まゆみにも不義理な行動ばかりしてしまっていて、本当に申しわけないと思っているが、お茶して帰るほどまだそんな心に余裕はなかった。
玄関の鍵を開けて中に入り、鍵を掛けた瞬間からまるで肩の荷が下りたように、ホッと気持ちが軽くなれる。 何だろう……会社で高橋さんの姿を見るのは苦痛とか、そういった感覚ではないけれど、今まで高橋さんと過ごしてきた楽しかった日々が時折思い出されて嬉しくなったりする。 思い出すことは凄く心地よいことでもあったが、同時に哀しいことでもあった。 嬉しくなったり、急に哀しくなったり、自分の感情を上手くコントロール出来ずにいる。
もう、このまま前には進めないのかな? 高橋さんとの楽しかった想い出に気持ちを巡らせて、何時も辿り着くところはそこだった。 不思議と、辛かったことは想い出さない。想い出さないというか、想い出せなかった。 全てが、高橋さん一色だった生活から主を失った時間は、それは長く暗闇のトンネルの中に居るようだった。

3月は決算月でもあり、これから株主総会の6月まで忙しい季節になっていく。
そして、この時期はまた人事異動の季節でもあって、3月末で退社する人の送別会が中旬にあった。
本来ならば月末に送別会をやるのが筋なのだが、経理はやはり月末は忙しくてそれどころではないので、今年も送別会は中旬に行われることになっていた。
今回は、異動の人と共に寿退社する人が2人居るので、その送別会も兼ねている。 金曜日だったが、会計もほぼ最初から会に出席できた。
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