新そよ風に乗って 〜慕情 vol.1〜
上司として……恐らく高橋さんの中には、部下としての私しかもう存在していないんだ。
それを目の当たりに見てしまった。 もう、この時計は外した方がいいのかな。 私がまだ時計をしているのを高橋さんが見たら、きっと迷惑に思うだろう。 でも、こんなにまだ好きだから。 せめて……せめてこのぐらいは許してもらってもいいですよね? 我が儘かもしれないけれど、やっぱり私は高橋さんが好き。 好きだから……。
そのまま玄関の床に、座り込んでしまった。
頬を涙が伝う。 この涙を拭ってくれる人は、もう私の傍には居ない。 でも、会社に行けば会える。
残酷なほどの現実。 それでも、私は高橋さんの傍に居たい。
「傍に……傍に居たいんだもん」
時計を見ながら、声に出していた。
ピンポーン。
エッ……。
誰? 
もしかして、高橋さん?
玄関に居たので、そのまま何も考えずにドアを開けた。
「ま、まゆみ!」
そこには、まゆみが立っていた。
「まゆみ! じゃないわよ。 何で、いきなりドアを開けるのよ。 不用心でしょ?」
あっ……。
そんなこと、考えてもいなかった。
「堪忍袋の緒が切れそうだから、押しかけてきた。 上がるわよ」
そう言うと、まゆみは私より先に部屋の中へと入っていった。
「もしかして、あんた! 今、起きたの?」
「まゆみ。 声が大きいって……頭が痛い。 ガンガンするよぉ」
思わず頭を押さえながら、耳を塞いだ。
「何……二日酔い? またやったの?」
「またって、まゆみ……」
そのままキッチンに向かってお湯を沸かそうとしたが、シンクの前で立ち止まってしまった。
見覚えのあるハンカチと自分の家のタオルが、シンクに掛けて干されていた。
「どうしたの?」
そのハンカチを見て、また涙が出てきてしまった。
不思議そうにまゆみが私の顔を見て何かを察したのか、そっと私の頭を自分の胸に押し当ててくれた。
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