新そよ風に乗って 〜慕情 vol.1〜
「久しぶり」
「お久しぶりです。 こんにちは」
仁さんは、相変わらず落ち着いていて優しく微笑んでくれた。
「陽子たぁん。 俺には?」
あっ!
明良さんから、催促されちゃった。
「す、すみません。 明良さんも、お久しぶりです」
言い終えたところで、ちょうどエレベーターが着いてドアが開いてしまった。
「陽子ちゃん。 元気だったぁ?」
「明良。 いいから、早く降りろ。 続きは、あとあと」
「えっ? まだ、話し途中なのに」
仁さんに急かされるように背中を肘で押されると、1番ドアに近かった明良さんから降りて部屋に向かった。
部屋に入って、大量の食材とアルコールをキッチンに運んでいる3人を横目に、玄関に入って直ぐ明良さんから指示されたとおりに、テーブルウエアのセッティングを始めた。
部屋に入ってから、すべて明良さんが仕切っているが、でもその指示に高橋さんも仁さんも何も言わずに従っていて、それが何だか微笑ましい。
暫くすると、仁さんがグラスを用意して持って来てくれた。
「仁さん。 すみません」
「手が空いたから。 それより……思いが通じたみたいで、良かったね」
「えっ?」
驚いて仁さんを見ると、何事もなかったようにグラスを並べている。
「あ、あの……」
グラスを並べ終わった仁さんが、やっと顔を上げてくれた。
「彼奴の陽子ちゃんに対する優しい眼差しを見れば、分かる」
仁さんは、キッチンで明良さんと何やら言い争っている高橋さんを見ながらそう言った。
仁さんは、高橋さんのこともお見通しなの?
「それに……」
そこまで言い掛けた仁さんの視線が、私を捉えた。
「俺の目の錯覚かと、初めは思ったけどね」
エッ……。
すると、仁さんが私の右手を指差した。
「その時計は、反則でしょう」
「あっ! こ、これは、その……」
咄嗟に、右手を後ろに隠した。
「ハハッ……。 でも、明良にばれた時は、覚悟しておいた方がいいよ。 色々、煩いから」
「そんなぁ……」
背中越しに振り返って微笑みながら小声でそう言うと、仁さんはキッチンに戻っていった。
もう、ばれちゃった。
まださっき会ったばかりなのに、仁さんは感性が鋭いからか、少しの変化も見逃さないというか、見事に見抜かれてしまった。
驚きを隠せず、戸惑いながら無意識に時計を左手で握っていた。

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