新そよ風に乗って 〜慕情 vol.1〜
ちょうどその時、エレベーターが来たことを知らせる音が静かなエレベーターホールに鳴り響き、同時にドアが開いた。
エレベーターに乗って、ボタンを押す。
そう言えば、何も聞けなかったな。 朝は、あんなに意気込んで来たんだけれど、やっぱり忙しい高橋さんには聞く機会を逸してしまい、なかなか切り出せなかった。
月曜日に、また機会を窺ってみよう。
エッ……。
突然、エレベーターが到着した時の音が鳴り、閉まり掛けていたドアがまた開くと、目の前に高橋さんが立って居た。
驚いて、一瞬目が点になって体が固まってしまった。
高橋さんは、外側の押しボタンから手を離してドアが閉まらないように片手で左側のドアを押さえながら、エレベーターの中に少しだけ入りかけた。
「直ぐ行くから、駐車場で待ってて」
そう言うと、高橋さんがB2のボタンを押してポケットから何かを取り出すと、私の右掌にのせた。
「えっ?」
この黒い四角いもの……車のリモコンキーだ。
慌てて高橋さんを見ると、もうエレベーターのドアが閉まり掛けていて、高橋さんは左手を挙げて直ぐに背中を向けて事務所の方に戻っていく姿が少しだけ見えたところでドアが閉まってしまった。
車のリモコンキー……預かっちゃった。
これじゃ、帰るに帰れない。
でも、ちょっと嬉しい。
そんな複雑な思いを抱きながら、地下2階でエレベーターを降りた。
暗い駐車場内に入るのは苦手なので、高橋さんから預かった車のリモコンキーを握りしめたまま、早く降りてきてくれないかと念じつつ、エレベーターホールで高橋さんが来るのを待っている。
そうなんだ。
もの凄く恐がりだから、こういう誰もいない場所で、しかも暗い所は大の苦手。 だけど、此処は社内だから危険な場所ではないから高橋さんも此処で待っててと言ってくれたはず。 それは重々承知しているんだけれど、やっぱり恐いものは恐い。
車のリモコンキーをギュッと握りしめている右手が、少し汗ばんでいるのが分かる。
その時、静まり返ったエレベーターホールにエレベーターの到着を知らせる音が鳴り響いたため、驚いて咄嗟に胸に両手をあてて開き始めたエレベーターのドアの方を見た。
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