新そよ風に乗って 〜慕情 vol.1〜
「ありがとうございます」
両手で挟んだその缶の温かさに、いつまでも触れていたかった。
些細なことなのに、高橋さんが買ってくれたことが嬉しくて、帰りの車の中でもずっと缶を握りしめたまま乗っていた。
そんな私を見て高橋さんは、
「飲まなきゃ、温まらないから意味ないジャン」
と、呆れ顔で笑っていた。
結局、仁さんから貰ったオルゴールは、高橋さんが預かっていてくれることになり、楽しい週末の出来事を思い出しながら眠りに就き、また仕事に向かう月曜日になった。
「これ、直ぐじゃなくてもいいから、ちょっとコピーしてきてくれる?」
中原さんもかなり忙しいらしく、書類を持ってやってきた。
「はい。 何部ずつですか?」
「あっ。 2部ずつで、お願い。 それで、出来たら1部は高橋さんの机の上に置いといてくれると、助かるんだけど」
「はい」
高橋さんは、会議中で席に居なかった。
電卓を叩いていたが、計算の途中で席を立ってコピー機の方へと向かう。
元々、人より何事にも時間の掛かる性分。 
それは、十分自覚している。 
直ぐにやらないと、どんどん後回しになってしまい、そのうちそのこと自体を忘れてしまいそうで怖い。 なるべく頼まれたことは、よほどの急ぎの仕事をしていない限り、そちらを優先するようにしていた。
コピー機の前に2人ほど待っていたが、出直してくるのも時間の無駄なので、何気なく時計を見ながら順番を待っていた。
「ちょっと、聞いてもいいかしら?」
不意に、後ろから聞き覚えのある声がした。
そして、直ぐに分かってしまった。 
その声は、あまり聞きたくない人のものだということも……。
「あっ……はい。 こんにちは……」
笑顔で振り返ったつもりだったが、上手く作れずに引きつった笑顔になってしまった。
「何で、貴女がこんな高い時計をしてるわけ? しかも、これ……もしかして、高橋さんとお揃いじゃない?」
うっ。
何て、鋭いんだろう?
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