新そよ風に乗って 〜慕情 vol.1〜
「私……何も知らなくて……休むことも、聞いていなかったんです。 でも、同じ担当の人が、 『 高橋さん。 オーバーホールするから、休むって 』 そう言われて……」
中原さんが言っていた、オーバーホールってこういうことだったんだ。
恐らく中原さんも、まさか高橋さんが入院してるとは思っていないはず。
「あっ……そろそろ引き継ぎの時間だから、詳しくは来た時にね。 それじゃ、また夕方ね。」
「は、はい」
明良さんの電話を切った後、暫く放心状態になってしまい、危うく遅刻しそうになりながら電車に飛び乗った。
高橋さんに怒られそうだが、仕事は殆ど手に着かずに時計ばかりを見ながら過ごしていた。
定時で直ぐに帰れるように、ランチタイム中に出来る範囲の帰り支度を済ませ、退社時間になると一目散に会社を出て、明良さんの病院に向かった。
言われたとおり、面会受付で明良さんを呼んでもらう。
夜勤だったはずの明良さんは、そのまま日勤もこなしていたらしく、院内を歩きながら少し愚痴を聞かされたが、あまり耳に入らない。 
早く会いたくて、病棟までの道程が長く感じられる。
「もう直ぐだから」
エレベーターを降りて、明良さんがそう言って1つの部屋のドアの前で歩みを止めると、手慣れたノックの仕方でスライドドアを開けた。
すると、ベッドの上でノートパソコンに向かっている高橋さんの姿が見えた。
あぁ……。
会いたかった人が……今、目の前にいる。
この2日間の悶々とした気持ち、わけの分からない怒りや不安。 色々な思いでぐちゃぐちゃになっていたのに、高橋さんの顔を見たらそんなものは吹き飛んでしまった。
「ヨッ!」
明良さんの声に、高橋さんは画面に向かったままだったので、明良さんの後ろに居る私にまだ気づいていないようだった。
「何だよ。 邪魔しにき……」
話ながら顔を上げた高橋さんが、話の途中で私の存在に気づくと明良さんに視線を移して、ガッと睨みつけた。
「心配してたから、連れてきちゃった」
「はぁ……」
高橋さんは溜息をつきながら、パソコンの横に肘を突いて左手で顔半分を覆った。
「それじゃ、俺は病棟に戻るから。 陽子ちゃん。 ごゆっくりね」
「あの、明良さん……」
明良さんは、直ぐに病室から出て行ってしまった。
お礼を言えなかった。
「おいで」
明良さんが出ていったドアの方を暫く見ていると、高橋さんが呼んだ。
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