13番目の呪われ姫は今日も元気に生きている
「ああ、そういえば俺の名前キースっていうんです」

 ほうじ茶ご馳走様のついでのように伯爵が突然自己紹介をはじめる。

「存じておりますよ? キース・ストラル伯爵でしょう?」

 それがどうしましたか? と首を傾げるベロニカに、

「"伯爵くん"じゃないんですよ、先生?」

 揶揄うようにそう言った伯爵の黒曜石のような瞳を見て、ベロニカは驚いたように目を見開く。

「誰か、じゃなくて、俺の名前を呼べばいいでしょう? 俺はベロニカ様の専属暗殺者なんだから」

 そういえば一度も名前で呼ばれた事ないなと今までを振り返った伯爵は、

「ほら、キースって呼んでみ?」

 とベロニカを促す。
 淡々とした口調のいつも通りの伯爵を見ながら、

「……キ……ぅう……」

 伯爵を名前で呼ぼうとしたベロニカはじっと自分を見つめてくる伯爵の視線に急に恥ずかしくなり、顔を伏せる。

「伯爵だって、私の事姫って言うじゃないですか! それに、伯爵の方が年上だし」

 名前を呼ぶだけなのに何をそんなに恥じらうのかと苦笑しつつ、

「俺はさっきから名前で呼んでますよ、ベロニカ様? 俺がベロニカ様に不敬を働く事はできないが、逆は問題ないでしょう。ほら、早く」

 揶揄うように伯爵は意地悪く口角を上げてベロニカを覗き込む。

「は、伯爵はっ……伯爵なのですっ!!」

 キッと顔を上げたベロニカは、伯爵をまっすぐ見つめてそう言い切る。

「いや、伯爵名前じゃないし」

「伯爵は一生伯爵です。結婚してもずっとずっと伯爵です!!」

 耳まで真っ赤に染めたベロニカは、突然そう宣言する。

「それ社交の場で呼んだら結構な人数振り返るけど?」

「それでも伯爵です。私にとって伯爵は伯爵しかいないので伯爵ですっ!」

 そう言って確固たる意思でベロニカは迷言を押し通そうとする。

「家督譲ったらどうする気ですか?」

「元伯爵にします」

「そこはせめて先代じゃないでしょうか?」

 俺伯爵クビになったみたいになってますけど? と肩を震わせて笑う伯爵は、

「いいですよ。じゃあ、俺ずっと伯爵でいます」

 家督誰かに譲るまでですけどと言って、ベロニカの金色の目を見つめると、

「代わりに本当に一生俺の隣で"伯爵"って呼んでくださいね」

 伯爵はクスッと笑ってそう言った。

「私、人生最後の言葉『伯爵』にします」

 はわわっ、伯爵がデレたっと両手で顔を覆ったベロニカは、

「トキメキの過剰摂取で死にそうです」

 ソファーに沈み込んだ。

「そのネタもう使いましたけど」

 まぁ今日は暗殺してないし、いいけどと伯爵は苦笑する。

「将来万が一陞爵するなんて話が出ても蹴るけど、文句言わないように」

「侯爵になったら、伯爵って呼べないのでぜひ蹴ってください」

「……没落寸前の貧乏貴族が何寝言言ってるんだ、って言わないんですか?」

「言いませんよ、だって伯爵ですよ?」

 数多の暗殺者を差し置いて、唯一ベロニカの部屋までたどり着き、殺すのではなく呪いを解こうとするお人好しの伯爵(暗殺者)ならいつか誰も思いつかないような面白い事をやり遂げそうだとベロニカは思う。

「私の勘はよく当たるんですよ!」

 とドヤ顔でそう言ったベロニカは、

「でも……気が、向いたら…………名前、呼ぶ、かも……しれません////」

 ぽそっと小さな声でベロニカがつぶやく。
 そんなベロニカを見た伯爵はふむ、と頷くと、

「じゃあ、呪いが解ける最後の日までに練習しておいてください」

「…………善処します」

 期待していますね、とベロニカに宿題を残して伯爵は帰って行った。

 そんな約束を伯爵と交わしたベロニカが、こっそり伯爵の名前を呼ぶ練習をしたけれどやっぱり本人を目の前にすると恥ずかしくなって呼べず、いつのまにか伯爵呼びが定着し過ぎてその後本当に伯爵と呼び続けることになるのも、そんなベロニカに伯爵と呼ばれるのが嫌いでない伯爵がベロニカのために陞爵の話を蹴るのも数年先の未来のお話。
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