桜ふたたび 前編

2、蒼い炎

「日本の方がニュースソースが豊富だな」

ジェイはマオタイ酒のショットグラスをクイッとあおった。

事件が起こるわずか数分前、ジェイを乗せた飛行機はラガーデア空港を離陸していた。運が悪ければマンハッタン島の全封鎖に缶詰になるところだった。機内で第一報を受けたが、現地の混乱と報道規制のために、まともな情報が入手できずにいたのだと、ジェイは空港に迎えに来ていたリムジンのなかで説明してくれた。

澪が空港へ駆けつけたのは、ジェイの姿をこの目で確かめなければ、彼の無事が信じられなかったからだ。
不吉な夢は何かの暗示で、もしかしたら彼は瀕死の重症を負っていて、あの電話は幻だったのかもしれない。
だから、彼の顔を確認したら、すぐに京都へ戻るつもりでいた。それが……。

澪は、再会の安堵も吹っ飛ぶほどの緊張感に固まっていた。

ただでさえ高級レストランの雰囲気に呑まれてしまっているのに、円卓を挟んで、白シャツにタイトスカート、艶やかな黒髪を一部の乱れもなく後ろで束ねた女性が、先刻から冷めた視線を向けている。

背もたれに牡丹が透かし彫られた椅子に背筋をまっすぐ腰掛け、秀でた額が聡明さを、口角が少し下がった引き締まった唇は意志の強さを、そして切れ長の目は鋭い洞察力を表していた。

鈴麗楊(リンリー ヤン)(リン)。
父は中国北京出身の言語学者、母はカナディアンの物理学者というハイブロー一家に生まれ、イエール大学卒業後、下院議員秘書を経て、ジェイのエグゼクティブ・アシスタントに抜擢された。
驚異の記憶力と語学の才に恵まれ、12カ国語を自在に操る。抜群の事務処理能力、アイス・ドールと称されるクールさで、ジェイの信任は篤い。

これは、迎えに来ていた柏木が耳打ちしてくれた彼女のプロフィール。

彼もこの豪勢ランチに誘われたのだけど、用事があるからと帰ってしまった。
車中はもっぱらジェイとリンの会議室で、唐突に投げかけられるリンの質問に、柏木が大いに慌てる場面もあった。どうやら、彼は彼女が苦手らしい。

澪はそれまで、柏木をジェイの部下だと思い込んでいた。柏木の解説によると、彼はAXインターナショナルという会社の方で、AXファンドのCOOであるジェイの日本での活動を、特命でサポートしていると云う。

ジェイの肩書きにも驚いたし、その彼のお眼鏡にかなった柏木は、リン同様とてつもなく優秀なのだろう。それなのに、部外者にまでいろいろ気を遣ってもらっていることが、澪は申し訳ない。
< 100 / 304 >

この作品をシェア

pagetop