桜ふたたび 前編
「食事が進まないな。口に合わない?」

「あ? いえ……」

ジェイは、すっかり冷めてしまった燕の巣のスープにおそるおそる口をつける澪に向き直り、

「Manhattanが落ち着くまで、しばらくTokyoに拠点を置くことにした」

今まで以上に会えることを示唆したのに、澪は嬉しいのか迷惑なのか複雑な表情をする。期待外れの反応にジェイはつまらなそうに首の後ろに手をやった。

一般的に、肉体関係ができた女は精神的にも親しみを見せるものなのに、なぜか澪はますます他人行儀になってゆく。
〝さん〞付けの呼び方はなんとか矯正したが、敬語のよそよそしさは相変わらずだ。〈寂しい〉〈逢いたい〉〈愛してないの?〉は女の常套句なのに、澪は電話1本、メール1通、自分からは送ってこない。

今日も、わざわざ出迎えに来て、到着ゲートに駆け寄り熱い抱擁とキスに涙したくせに、睫の先に月の雫を溜めながら、すぐに京都へ帰ると言うから驚く。

ジェイは日本人の遠慮深さを美徳とは捉えていない。
特に澪は、自己評価が低いせいか、謙虚や控え目を通り越して、卑屈にさえ感じる。

「もっと喜ぶかと思ったのに」

ジェイの不興など耳に入らぬのか、澪は不安そうな顔で、

「これからどうなるんでしょう?」

「テロならば、戦争になる可能性は高い」

ジェイは伊万里の器に盛られた上海蟹の足を一気に折り外し、平然と言った。
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