桜ふたたび 前編
見ると澪は、主人の帰りを待つ仔犬のように、心許ない目を三人が消えた扉に向けている。リンは散り蓮華に麺を取り載せながら、抑揚のない声で切り出した。

「ご忠告があります」

一瞬、澪は怯え顔をして、ギクシャクと姿勢を正し神妙に頭を垂れた。
まるで教師の説教を覚悟した落ちこぼれ生徒のよう。こんなに意気地なくて、この先どうやってあのジェイと付き合っていけるのだと、リンは心の中で半分呆れ半分哀れんだ。
したたかな女性でも逃げ出すのだから、今回も長続きはしないだろう。

「ご存知だと思いますが、彼の双肩には、AXグループ全体の命運がかかっています。彼の一瞬の油断が取り返しのつかない莫大な損失に繋がる。彼は常に飛び続け、勝ち続けなければなりません」

ジェイの精神の中心には、青白い炎の柱が熾っていて、炎が酸素を求めるように、征服する獲物を求め、対象が強大であればあるほど烈しく燃えさかる。
ターゲットを失い足を止めたとき、彼は自らの炎で自らを焼き焦がし、自滅するだろう。

「今、彼が、羽を休めてしまったら、失速して墜ちてしまいます」

澪は、はっと目を上げた。

「ですから、彼の前進を妨げることはなさらないでください。勝ち続けてこそ、ジャンルカ・アルフレックスなのですから」

クールに言い終えたアイスドールは、「はい」と素直に頷く澪に、表情を微かに歪めた。

今までも、ジェイの分刻みのスケジュールを阻害し、ビジネスの障害になりかねない者は、彼の恋人だろうと排除してきた。
常に先読みをし彼の仕事の円滑化を図ること、世界を飛び回る彼に代わり的確な対処を行い業務の流れを停滞させないこと、そして、彼にとっての面倒事を取り除くことが、エグゼクティブ・アシスタントに課せられた使命なのだ。

そんなリンを罵倒する者もいれば、ジェイに泣き付く者もいた。だが、以降、二度と彼女らの顔を見ることはなかった。

澪のような反応は初めてで、甘いはずのデザートに苦丁茶のような苦味を感じるリンだった。
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