桜ふたたび 前編
クローゼとカイザー製薬は、いくつかの業務提携を結んでいる。それが今回、一切の平和的交渉がなされなかったのは、カイザーの企業母体が、ナチスの生物化学兵器研究に関与し現在も軍事開発を疑われる化学工業だからだ。
彼らの標的は、ワインでもホテルでもなく、あの畑で発見されたボトリティス・シネレア(貴腐菌)の変異体を宿主とするマイコウィルス。あのテロワールでなければならない。
ウォルフガングは、2年前に最愛の伴侶を亡くし、自らも難病を患っている。子どもはない。2月に片腕の甥が不審死し、その原因も不明のまま、後継者争いで結束の強いファミリー企業に不協和音が生じていた。そこをつけ込まれたか。
『黒幕はロイズですか』
エルは反っくり返ったまま固まった。
『ロイズだと?』
ロイズはロシアの新興コンツェルンだ。1990年代に石油事業会社として創業し、10年ほど前の投資会社買収を皮切りに、いきなり国際舞台へ登場した。
短期収益性追求が露骨で、雑食で貪吝で、手段を選ばず手に入れては食い荒らすだけだと、芳しい評価は一つも聞かない。
そのロイズの№2が、1月のダボス会議開催中にカイザーに接触したとの情報があった。彼らのことだ、クローゼ買収の尻押しをするふりをして、いずれカイザーを丸呑みする算段だろう。
黒海油田の売却問題でクレムリンの不興を買ったロイズのミロシュビッチ会長が、逮捕を恐れて極東の地へ退いたと聞くが、政府との交渉の最終カードとして、危急の際の備えとして、軍需産業を掌中にしておきたいというところか。
甥の死への関与を疑うのは穿ち過ぎだが、そのくらいはやりかねない。
人権擁護活動家としての一面をもつウォルフガングは、ビジネスのためとはいえカイザーと手を結んだことを、生涯の汚点と恥じていた。彼は人生の最後に潔斎しようとしているのだ。神の恩恵と崇める貴腐菌を、殺人兵器に悪用されてはならない。
この腐れ縁を一気に断ち切り天誅を下すために、背後に見え隠れするロイズとの競合に無敗を誇るAX、ひいては、ジェイの介入を仰いでいる。
そんなことに考え至らぬ思慮の浅さ。せっかくの〝命令〞が〝依頼〞になってしまって、母のお膳立ては裏目に出た。
『こちらで預かりましょう。年内にご報告します』
彼らの標的は、ワインでもホテルでもなく、あの畑で発見されたボトリティス・シネレア(貴腐菌)の変異体を宿主とするマイコウィルス。あのテロワールでなければならない。
ウォルフガングは、2年前に最愛の伴侶を亡くし、自らも難病を患っている。子どもはない。2月に片腕の甥が不審死し、その原因も不明のまま、後継者争いで結束の強いファミリー企業に不協和音が生じていた。そこをつけ込まれたか。
『黒幕はロイズですか』
エルは反っくり返ったまま固まった。
『ロイズだと?』
ロイズはロシアの新興コンツェルンだ。1990年代に石油事業会社として創業し、10年ほど前の投資会社買収を皮切りに、いきなり国際舞台へ登場した。
短期収益性追求が露骨で、雑食で貪吝で、手段を選ばず手に入れては食い荒らすだけだと、芳しい評価は一つも聞かない。
そのロイズの№2が、1月のダボス会議開催中にカイザーに接触したとの情報があった。彼らのことだ、クローゼ買収の尻押しをするふりをして、いずれカイザーを丸呑みする算段だろう。
黒海油田の売却問題でクレムリンの不興を買ったロイズのミロシュビッチ会長が、逮捕を恐れて極東の地へ退いたと聞くが、政府との交渉の最終カードとして、危急の際の備えとして、軍需産業を掌中にしておきたいというところか。
甥の死への関与を疑うのは穿ち過ぎだが、そのくらいはやりかねない。
人権擁護活動家としての一面をもつウォルフガングは、ビジネスのためとはいえカイザーと手を結んだことを、生涯の汚点と恥じていた。彼は人生の最後に潔斎しようとしているのだ。神の恩恵と崇める貴腐菌を、殺人兵器に悪用されてはならない。
この腐れ縁を一気に断ち切り天誅を下すために、背後に見え隠れするロイズとの競合に無敗を誇るAX、ひいては、ジェイの介入を仰いでいる。
そんなことに考え至らぬ思慮の浅さ。せっかくの〝命令〞が〝依頼〞になってしまって、母のお膳立ては裏目に出た。
『こちらで預かりましょう。年内にご報告します』