桜ふたたび 前編
──これも地球温暖化のせいやろか?

千世は喉の渇きにワインを一気に飲み干した。

猛暑に寒波に干ばつにゲリラ豪雨に大洪水、さらに大地震に大噴火、地球全体がおかしいから、もし円山の桜が秋に咲いたって、鴨川にラッコが現れたって、きっと今夜ほど驚きはしないだろう。
何せこの澪が、あのラグジュアリーな男と、ステディだと告白されたのだ。温暖化のせいでプリンスの頭もどうかしてしまったに違いない。

──この澪が? 石橋を叩いたって渡らない澪が? 恋愛にとんと疎くてまともに男としゃべったこともない澪が? 恋バナにすぐ真っ赤になるくせに、プリンスとあんなことしたり? こんなことしたり……? いやぁ~! 

混乱した頭を写すように、千世はペスカトーレの中でフォークを廻し続けている。パスタの玉が皿いっぱいに大きくなって、またほどけていった。

──そりゃ元はと言えば、澪がナンパされたんやけど……。でも相手は天下のAXの御曹司。うちら庶民をマジで相手にするわけがないやん。

千世ははたと妄想を止め、首をかしげた。

「あれ? でも、彼、婚約してはったんと違たっけ? クリスティーナ・ベッティと」

澪は神妙に首を垂れたまま、

「あの記事はデマだって」

「デマ? 誰が言うたん?」

「ジェイが」

「う~ん……まあ、そう言うやろねぇ」

お冠を覚悟していたのに予想外の口調。顔色をうかがうように目を上げると、千世は気の毒そうに澪を見ていた。

「ニューヨークと京都やったら、そう逢えへんやん?」

「え? あ、うん、でも、日本での仕事もあるから、月に1度くらいは──」

「月に1度ぉ?」

千世は声を裏返らせた。それから、眉を寄せ顎を引き、

「電話とかくれはるの?」

澪は記憶をたぐるように目を上げた。

「時差があるから……。メールなら」

「メールぅ?」

周囲を憚らぬ大きな呆れ口調に、隣のカップルが興味津々に耳を欹てている。

「それ、恋人って言えんの?」
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