桜ふたたび 前編
澪は小さく息を吐いた。
千世がごく自然に他人に甘えたり頼ったりできるのは、家族からとても大切に育てられたからだ。父からも兄からも〈我が家の姫〉と溺愛されて、だから少しわがままだけど堪忍してねと、彼女の母親から言われたことがある。
彼女にとって〝家〞とは、自分を庇護してくれるどこよりも居心地のよい場所で、そこから飛び立つことなど微塵も考えていなかったのだろう。結婚願望は強いけど、現実的なことにはちっとも目が向かない夢想家だから。

「いっそ、蔵が潰れてくれたらええのに」

千世は物騒なことを言って、澪の顰蹙を買った。

「それに、あと2ヶ月しかないんよ? 急に言われたかて、なぁ?」

「彼だけ先に帰ってもらうのはダメなの?」

「そんなん遠恋になってしまうやないの!」

千世はとんでもないと目を剥いた。

「無理、無理、遠恋やなんて、うちみたいな寂しがり屋には絶対に無理! 浮気とか心配やし、それに、うちは京都生まれの京都育ち、友達もみんなこっちやし……」

「千世ならすぐに友達ができると思う」

「そやけど……」

実のところ澪は、千世がとうに結論を出していることを知っていた。女性の相談事の大半は、ただ誰かに打ち明けて、同調してほしいだけのもの。迂闊に意見したらかえって煙たがられる。

「きっと彼もいろいろ考えてくれていると思うよ? 大丈夫、千世のこと一番大切にしているひとだもの」

「そやろかぁ。でもなぁ、ちょっと頼りないんよ、うちのダーリンは。あんたのプリンスと違うて。まあ、比べる方が間違うてるか。しょせん田舎の蔵元とアメリカの大企業様やもんなぁ」

千世は大袈裟に言うけれど、ジェイが住む世界は実力主義。いくら父親が偉くても、能力が無ければ切り捨てられる。
それに、澪は知っていた。彼が誰よりも必死に飛び続け、今のポジションを守らなければならない、理由を。
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