桜ふたたび 前編
先斗町はすでに夜を迎えていた。店々の看板には灯が点され、打ち水された石畳に滲んだ明かりを落としている。
里の玄関ホールには、色づき始めたモミジが活けられていた。

先刻から澪の箸はいっかな進まない。
実は、澪はひとつの思いにとらわれていた。

澪から蒸し返すことはおこがましい。おこがましいとは思うけれど、でも今夜を逃せば半年後。それも忙しい彼のこと、次はいつ来られるかわからない。
言うべきか、言うならどのタイミングで……。

いきなりジェイに顔を覗き込まれ、びっくりして、かろうじて作った愛想笑いが引き攣った。

「何か言いたいことがあるのだろう?」

──ジェイには、何でも見透かされてしまう。

今だろうかと、澪は唇を開きかけた。けれど、やはり今ではないような気がするのは、怒らせたらどうしようかと勇気がないせいだ。

ジェイは余裕の笑みを浮かべて待っている。やっぱり今だよねと心を決め、澪は蚊の鳴くような声で訊ねた。

「もう一度……、捜してみませんか?」

「何を?」

「あの日、捜していたひと……」

すっと笑みが失せるのを見て、澪は後悔した。今ではなかった。いや言い方が拙かった。

「あれは、桜に魅入られたからだ」

そうそっけなく言うと、ジェイはこれ以上の質問を許さないと横向いてしまった。

いつもの澪なら、相手が触れられたくないゾーンに踏み込むことは絶対にしないのだけど、いま引下がったら二度と俎上に載せられない。せっかく、満身の勇気で切り出したのに。
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