桜ふたたび 前編
「お……お名前は?」

ジェイは少し驚いたような顔を向け、じっと見つめる瞳に怯んだのか根負けしたのか、ぞんさいに言った。

「里村志埜。先斗町で料理屋をしているらしい」

ふいに、ジェイの横で跪座し空いた器を引いていた女将が嘴を挟んだ。

「サトムラシノはん? 登美乃家の芸妓はんやった、鈴登美さん姐さんのことどすやろか?」

澪は瞠目した。

「ご存じですか?」

「知ってるもなにも、ここ、鈴登美さん姐さんのお店どしたんえ」

懐かしげに向けた視線の先を追って振り返り、澪は「ええっ?」と思わず声を上げてしまった。壁の芸妓画だ。

澪はまじまじと、鴇色のお引き摺りの女性を見つめた。篠笛を吹くやや伏せた眼差し、柔らかな輪郭、愁いを帯びた瞳。似ている、だろうか?

──ああ、黒髪。 

「今はどちらに?」

澪の勢いに、女将はたじろいだように体を引いたけれど、すぐにその目をジェイの横顔に置いて、何か悟ったように点頭し、それから、言いにくそうに、それでも使命感でもあるように、話し始めた。


「あの……亡くならはったんどす。もう7年になりますやろか」

「亡くなった……?」

声が掠れた。

──何をしても裏目に出る。やっぱりわたしは疫病神なんだ。

申し訳ない気持ちでジェイをうかがうと、彼は興味がないとばかりにお猪口を口に運んでいた。
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