桜ふたたび 前編

2、雪のシャンゼリゼ

夕暮れから、パリに初雪が降った。
シャンゼリゼ通の街路樹を、仄青いシャンパンの泡のように飾っていた優美なイルミネーションも消灯され、街が白一色に埋もれ始めた頃、タクシーから降り立ったジェイは、カシミアコートの襟を立て、空を見上げて白い息を吐いた。

年明けのクローゼとの買収基本合意に向け、スタッフの士気は高まっている。それなのに、肝心のジェイが慎重になっていて、チーム内には焦心が積もり始めていた。
内偵メンバーの報告からも障害は見つからない。ジェイが何を懸念しているのか、実は本人さえも解せないのだ。

回転ドアを押したジェイは微かに視線を左右した。
市内にアルフレックス家の別邸があるのだが、彼はゴールデントライアングルの中心に建つアールデコ様式のホテルを、パリでの定宿にしていた。

──騒がしいな。

エントランスの空気がいつもと違っている。華々しいクリスマスディスプレーのせいではない。外界と隔絶された閑雅なホールが、妙に浮き足立って見える。

開いたエレベータ扉の向こうに先客を見て、ジェイは意外な気がした。
この時間、滅多に人と乗り合わせることはないのに、地下の駐車場から上がってきたのか、レスラーのような屈強な男が3名。15人乗りのエレベータにはまだ余裕があるにも関わらず、黒い壁のように立ちはだかり、場を譲ろうとしない。
不快ではあるが、強いて乗り込むものでもない。

扉が閉じ始めたとき、奥から命令調な女の声がした。
再び開いた扉を怪訝に見ていたジェイは、男たちの間から伸びた白い指に腕を掴まれ、あっという間にカゴの内に引きずり込まれていた。

《逢いたかった~》

いきなり女に抱きつかれ、さすがのジェイも身構えた。男たちも、首をギクシャク振り向くべきか迷っている。
首に腕を回したまま小悪魔のように笑うセクシーな口元のホクロに、覚えがあった。

《クリス?》

《Si!》と、黒髪の鬘を脱いだダークブロンドが、光を織り込んだ絹のように波打った。

《今夜は仮装パーティーか?》

黒いサングラスをずらして、アクアマリンのような美しい双眸が苦笑した。

《事情はあとで説明するわ。ね、ちょっと部屋で呑みましょう?》

エレベータのインジケータが5階で止まり、軽やかなチャイムと共に扉が開いた。

『あなたたち、ここでいいわ』

クリスはぴたりとジェイに体を密着させ腕を組み、言うなり男たちをかき分けた。

男たちはおろおろと、彼女の後ろに従う黒縁眼鏡の女に視線を向けている。
小柄ながら両手に大きな荷物を軽々と抱えた茶髪のおかっぱ頭は、振り返ったジェイに同情するように肩をすくめると、後ろ手に手のひらを振って男たちに解散を命じるのだった。
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