桜ふたたび 前編
《恋でもしてる?》

ジェイはシャンパンを吹き出した。

《やだ、図星?》

汚れたシャツを袖で拭う狼狽ぶりに、クリスの方が慌てた。

《驚いた。てっきり仕事が永遠の恋人だと思ってた》

この永久凍土のような心を、溶かした女がいるとは信じられない。それも、まさか恋した相手に操を貫く律儀な男だったとは、意外を通り越して衝撃だ。

《逢ってみたいわ》

《誰に?》

《あなたの恋人。どんなひと? 私より美人?》

《君らしくもないな》

《あら、今までも気になっていたわ。シェリルもジュリアも。でも、あなたは誰にも恋をしていなかったもの》

実名を挙げられても平然としているくせに、さっきの狼狽えぶりは何だったのだろう。クリスはつい意地悪な気分になった。

《その女性がどんな手段を使ってあなたを虜にしたのか知りたいわ。容姿? 教養? 才能? 財力? それともセックス?》

女優らしく大げさな手振りで質問する。

《正直に答えるまで帰さないわよ》

戯戯けて指でピストルをまねる目が、真剣だった。

《ただ彼女といると安まる。そういう女》

クリスは絶句した。
まわりは敵ばかり、駆け引きと策謀の世界に生きる者にとって、心を許して寛げる存在とは最上級の惚気だ。つまりは、ジェイの方が惚れたということか。

そんなことを嬉しそうに答えるなんて、遊んでいるわりに女心がわからぬ男。
愛情とセックスは別なんて台詞を聞いても、いつかは彼も気づくと思っていたのに、そんな秘めた期待も希望も、あっさりと打ち消してくれた。

《何だかしらけちゃった》

クリスは不意に立ち上がると、《愛しい彼に電話するから、帰っていいわよ》と、さっさと寝室へ引き上げて行った。

女から誘って断られた以上、恥の上塗りはしたくない。クリスは潔い女だった。

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