桜ふたたび 前編
「何とか言いなさいよ!」

柚木はテーブルに両手を突いて「すまない」と深く長く頭を下げた。それから覚悟を決めたような懇願するような顔を上げ、座布団を押しのけ、妻の前でラグカーペットに額を押しつけるように土下座した。

「すまない、でも──」

「大丈夫よ!」

それまで一言も発しなかった紗子が、夫を遮るように声をあげた。まるで彼が口にしようとした言葉を、この世から永遠に葬るかの如く。

彼女は目を瞑り一拍二拍、言葉を溜めると、口端を上げて目を開けた。
澪には一瞬、その目の奥に、強い邪な色が翻ったような気がした。

「大丈夫、パパには言わない。だってあなたは、もうすぐ父親になるのやもの」

「え?」

柚木と香子は同時に声を上げ、狐に摘まれたように彼女を見た。

「い、今、何て?」

「子どもができたのよ」

「こども?」

紗子は腹部に手を当て、

「そう、あなたの赤ちゃん」

茫然自失する柚木に向かって聖母のような微笑みを向けた。

──男性側に問題があって後継ぎができないのだと悩んでいたけど、やっぱり治っていたんだ。

澪は傍観者のように、そんなことを考えていた。顎先をあげた紗子が、一変して高慢な表情を澪に向け、最後のフレーズに力を込めて言うまでは。

「佐倉さん、わかるわね? 宗佑の子ぉは、妻の私が産みます」

このとき初めて澪は、これがテレビドラマでも映画でもないことを悟った。
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