桜ふたたび 前編
「人殺し‼」

翌朝、香子から紗子が自殺を図ったと聞かされて、澪はその場で気を失いかけた。

「お、おなかの赤ちゃんは?」

澪はやっとの思いで訊ねた。

「赤ちゃん……」

電話口の向こうで、香子は言葉を詰まらせた。それから地の底から呪うような声で、

「あんたのせいや。あんたさえいなければ、こんなことにはならへんかったんや。あんたが、サエちゃんを追いつめて、すべてを奪ったんや!」

──望んだ瞬間に、掌から零れてゆく……。

すべてが幻だったのだ。
父の不貞に心を痛めながら、不倫に身を沈めた。己の出生を恥ながら、不義の子を産もうとした。
その代償は、罪のないひとを傷つけ、尊い生命を奪うことだった。

紗子の年齢を考えれば最後のチャンスだったかもしれない。ようやく授かった希望を彼女から奪った澪が、子を持つことは一生涯赦されない。

──ごめんね。あなたはわたしと同じ、生まれてきてはいけない子なの。

窓辺の鉢植えに、種子から育てた朝顔が、行燈仕立て一杯に大輪の花を咲かせていた。短い命と知って懸命に咲いているのか。可憐なピンクの花びらから一粒の露が落ちたとき、澪はテーブルに突っ伏した。

結局、澪は、愛だと信じたものを護ることもできず、自ら放棄してしまった。思いこみだけの覚悟で、取り返しのつかない罪過だけを残して──。

他者の幸せを壊した澪に、幸せになる権利はない。
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