桜ふたたび 前編
ジェイに腕を引き上げられて、澪は何とかよろよろと立ち上がった。とたん唇を重ねられ、今度はそっくり返って倒れそうになった。

ここはイタリア。空港でも老若男女が目を覆いたくなるような熱いキスを公然と交わしていた。
でも、日本人の澪には、私有地と言ってもお天道様の下だ。そのうえ、当然の権利のように腰を抱かれては、ドキドキと恥ずかしさで全身の血が沸騰してしまう。

澪の恥じらいなどお構いなしに、ジェイは迷いなく生垣の園路を進みながら、

「よく眠れた?」

「はい」

「そうだろうね。お陰で私は寝不足だ」

どうしてこんなに澄み切った空の下で、朝っぱらから濃厚な恨み事をしらっと吐けるのだろう。確かに責められても仕方がないのだけれど……。

昨夜、恋い焦がれた肌のぬくもりを、互いに熱く確かめ合った、──はずなのに、実は途中から記憶がない。時差ぼけと、調子に乗って呑んだスプマンテで、不覚にも寝落ちしてしまったのだ。

「す、すみません」

「昨夜の拷問の代償に、面白いものを見物できたから、今回は特別に許す」

「面白いもの?」

にやりと笑ったジェイの視線の先を辿って、澪はあっと口を開けた。
木立の陰に古い石造りの物見台。さっきまで先導するように前を歩いていたカラが、手すりに前足を掛けてこちらを見下ろしている。

「……見ていたんですね?」

「しかし、庭師も趣向が過ぎる。今では家の者さえメイズを抜け出せないらしい」

「ひどい。本当に庭で遭難するかと思ったんですよ?」

「西の怪物のグロッタ(人工洞窟)にしようかと迷ったけど、あそこはトラップにかかって死人が出てるからなぁ。そっちの方がよかった?」

澪はぶんぶんと首を振った。死人は冗談としても、どんな場所なのか想像するのも恐ろしい。

「つまり私は澪の命の恩人ということだ」

何だか腑に落ちない澪を見て、ジェイは声を上げて笑った。
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