桜ふたたび 前編
『澪は、感受性が強く対人関係においては臆病だが、傷ついても真っ直ぐに立っていられる芯の強い女だ。たとえ腐敗した泥沼のなかでも、白い花のままでいられる』

『ミオが蓮の花なら、ジェイは孤独な白鳥ね。澄ました顔で泳いでいても、水の中では必死に脚を掻いている』

『何が言いたい?』

『あなたは、ミオに疲れた心を癒してもらいたいだけなのよ。あなたのエゴイズムで、静かな水面を掻き乱して花を摘もうとするなんて、赦されないわ』

ジェイは思わず目を瞬いた。

澪は泉だ。彼女に触れると、なぜか懐かしい優しい気持ちになって、虚栄が払われ、素のままの己が見えてくる。細やかで温かく清らかな泉の水は、傷ついた心を癒やし、心底に堆積した穢れを浄化してゆくのだ。

心に闇をもつ人間ほど彼女に惹きつけられる。そして彼女自身も、闇に惹きつけられる。

それに気づいたルナもまた、心を病んだ孤独な白鳥なのか?

『あなたはミオを守ってあげられるの? すべてをなげうって、彼女を幸せにできるの? 今までの女のように使い捨てにするのなら、解放してあげなさいよ!』

『君が口出しすることじゃない』

冷淡な声に、ルナの唇がピシッと閉じた。悪ふざけのつもりがつい暴走してしまった。ここから先は危険だと、戦場に身を置く野生の勘が働いたのだ。

ルナが多くの休日をジェノヴァの屋敷で過ごしたのは、徹底した淑女教育を強いる母の監視から逃れられる唯一の場所だったこともあるが、寄宿舎から帰省するジェイと会うのを楽しみにしていたからだ。(ローマに帰省するアレクが必ず一緒だったけど)。

彼らとの冒険のような毎日は心躍った。馬で野山を駆け回り、罠を仕掛けて野うさぎを捕え、小舟を漕いで釣りもした。
いつも勝負を挑んで、でも何ひとつ勝てなかった。考え抜いた悪戯も、何なく返り討ちにされてしまった。

返り討ちなどと生易しいものではない。彼は、攻撃してきた相手には容赦なく倍返しにいたぶる。相手が女子供であろうが、泣こうが喚こうが謝ろうが、追い詰めて愉しむ真性のサディストだ。
< 177 / 304 >

この作品をシェア

pagetop