桜ふたたび 前編

3、海にかかる虹

夜半から、ジェノヴァは篠突く雨になった。

撥のような雨声、終焉の大洪水でも起こりそうな不吉な予感に怯えているのは、異国の地でひとり伏せる心細さからだ。
もし、ここにジェイがいてくれたなら、たとえ人類滅亡を告げられても、恐れはしないだろう。

──でも、あんなに怒らせてしまって……。

澪は絶望的な気分になった。彼のフィアンセだと嘘をつくような女だと、ジェイに誤解されたことが悲しかった。それ以上に、フィアンセと名乗られたと彼が憤激したことがショックだった。

結婚を望んでいるわけではないけれど、彼の口から完全否定されるとさすがにへこむ。現実を突きつけられて落ち込むなんて、やはりどこかで夢見ていたのだろうか……。

何も望まないと誓ったはずなのに、ブレーキをかけようとしても、なぜか想いは加速してゆく。1日ごとに1時間ごとに1秒ごとに、声が訊きたい、会いたい、抱きしめられたい、キスしたい、愛されたいと、どんどん欲深くなってしまう。
理性と感情とエロスがスパイラルして、暴発したり暴走したり、もう手に負えない。自分で自分がどうしたいのか、庭のメイズより、街の迷路より、もっと複雑なラビリンスにはまり込んでしまったみたい。

この苦しさは、熱のせい? 恋のせい? 医者の注射も薬も、ちっとも効いていない。

──あ……あ、ジェイに逢いたい……。

朦朧とした意識の向こうから、呼びかける声がした。
澪は気疎い瞼を開けた。美しいアースアイが心配そうに覗き込んでいた。
< 189 / 304 >

この作品をシェア

pagetop