桜ふたたび 前編
澪は一瞬きょとんとして、少し遅れて大いに狼狽えた。ジェイとメイファの濃厚なキスが浮かんだ。

──このひとが、ジェイの恋人……? だから、わたしを置いて彼女と消えたの?

ジェイはクリスを紹介してくれたけれど、メイファは名前さえ教えてくれなかった。そのうえ、澪を無視して彼女と腕を組んで消えていった。つまりそう言うことだったか。

突如、烈しい動悸が澪を襲った。心臓から黒い血液がどくどくと、全身に流れ出していくようだった。

「ワタシ、ジェイニ会イニ来タ。デモ、アナタ、壊シタ。disgusting!(非常に不愉快)」

澪は一刻も早くこの場から逃げだそうと、出口に目を向けた。けれど、獲物を狙う蛇の目が、澪の遁走を通せんぼしている。

「クリス、シェリル、ジェイノgirlfriend、皆怒ッテイル。ココ、common people来ルトコロナイ。アナタバチガイ。身ノ程知リナサイ」

とたんに顔色を失う澪に、メイファは毒々しい薄ら笑いを浮かべた。
生得好戦的で、育ちにより残忍な嗜虐性まで持ち合わせている。澪のようなタイプは飛んで火に入る夏の虫。充分愉しませてもらおうではないかと。

メイファは、洗面台の前で上半身を反らしたまま動けずにいる澪に、首を伸ばして擦り寄った。

「ワタシノパーパ、multi billionaire(超大金持ち)。ジェイ、ワタシトMarriageスル。but、芸者ガールトスキャンダルイケナイ。パーパ怒ル。アナタ、ジェイノ邪魔。迷惑ナ人」

息がかかるほど間近で嘲笑う眼差しに捉えられ、呼吸ができない。

メイファはいきなり澪のドレスの裾を引っ張り上げフンと放り上げると、蒼白になった澪の胸元へ、バッグから取りだした札を強引にねじ込んだ。

「チップネ。早ク消エナサイ、prostitute(娼婦)」

最低の汚辱にも何も言い返すことができず、澪は喘ぐように逃げ出した。高慢な笑い声がいつまでもどこまでも逐ってくるようだった。
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