桜ふたたび 前編

4、月影のキス

《遅かったな》

戻ってきたジェイに、アレクはたっぷり嫌味を吐いた。
ジェイは相手の怒りなどどこ吹く風で、

《澪は?》

《レストルームに行ったきり戻らないから、シルヴィが心配して迎えに行っている。まあ、目の前で他の女に恋人を持ってかれりゃ、誰だって怒るさ》

《Cメディアのデ・リーヴィオを紹介してもらっただけだ》

アレクは不快な顔をした。投資家の皮を被った闇カジノ王の娘と、マフィアと繋がるイタリア政財界のドンの息子、どちらもきな臭い人間だ。一歩間違えれば大やけどをする。

《ルナの言うとおりだ。無装備のミオをわざわざ地雷原に連れてくるのはよせ。今夜のようなブッキングに傷つくのは彼女だ。お前がどんな女と遊ぼうが勝手だが、ミオにばれるようなことはするなよ》

《今は澪だけだ》

アレクはまったく信じていない。イタリア男が女を求めるのは、先祖代々生まれる前から感染した不治の病だ。アレクもシルヴィを心底愛しているが、魅力的な花を見れば何としてでも蜜を味わいたくなる。

《それなら、ミオを鳥かごに入れておくべきだな。猛禽類に突かれてからでは遅い》

《上手いことを言うなぁ》

ジェイが他人事のように感心したとき、シルヴィが戻ってきた。彼女の眉間に寄った深い皺に、ジェイとアレクは顔を見合わせた。

《ミオは?》

シルヴィは首を振ると、手にした銀のジュエリーバッグをジェイへ差し出した。

《これ、ミオのよね?》

ジェイは微かに眉根を寄せた。確かに今日、澪のために買ったものだ。

《レストルームに落ちていたわ。東洋人同士がもめているのを見た人がいるのだけど、彼女かしら──》

言葉の途中で、ジェイはすでに歩き出していた。
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