桜ふたたび 前編

2、サンセットクルージング

ジェイはクルーザーのブリッジで、リクライニングチェアに両手を枕に寝そべり、オレンジ色の小さな夕陽が空漠と海へ眠るのを眺めやっていた。

空も海も島影も、そして傍らに寄り添う澪の頬までも、世界は不思議な柿色に染まっている。夕凪に穏やかな波音だけが続いていた。

そっと澪の手を握ると、彼女はふっと慈愛に満ちた笑みを浮かべ、静かに唇を被せてきた。
甘美な痺れが四肢を巡り、魔法にかけられたかのように全身が蕩けた。

「ありがとう、ジェイ」

その瞳は美しかった。感銘するほどの美しさに、ジェイは言葉を忘れた。

やがて空と海が溶け合って、暮れなずんだ空に、青く小さな月が浮かんだ。銀に輝く宵の明星が、旅の終わりが近いことを、ふたりに告げている。

《ジェイ、ミオ、食事にしましょう》

ブリッジに顔を覗かせたシルヴィは、胡乱げに洋上に目を留めた。

《何かしら? あの舟。マリーナからついてきているみたいだけど……》

ジェイはふいと振り返り、やけに接近して停泊している小型船を認めたが、さして気には留めなかった。マリーナ・ピッコラ沖のサンセットクルージングは珍しくないし、船体には釣り竿が立てられている。
だが、その竿に糸が垂れていないことに、シルヴィもジェイも気づかなかった。
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