桜ふたたび 前編
クルーザーのサロンの入口で、髪をマンバン(お団子)にしたアレクは、優雅にボーアンドクレープ(右手をくるくる回し胸に、左手を横に差し出す古いお辞儀)すると、女王陛下をエスコートするように恭しく澪の手を取った。

ターコイズブルーのテーブルクロスの上には、すでにディナーが並んでいる。スピーカーから流れる〈Tornna a Surriento (帰れソレントへ)〉と唄う甘く切ないカンツォーネが、船窓に遠く揺れる街あかりをドラマチックに仕立てていた。

皆がテーブルに着いたところで、アレクはよく冷えたローマ産のフラスカーティを、まず澪のグラスから注いだ。
4つのグラスに行き渡ったところで颯爽とグラスを掲げ、澪に微笑みかける。

《可愛いミオの旅の終わりに》

《Cin.Cin!》

テーブルの真ん中で合わさったグラスが、カチンと小気味のいい音を立てた。

《さあ、どんどん食ってくれ。俺の自信作だ》

アレクは得意気に言って、ザワークラフトがたっぷり添えられたハーブソーセージとカルパッチョを、女性の皿へ取り分けていく。

《明日は帰国だなんて、残念だわ》

シルヴィは目を細めて、夏休みに遊びに来ていた孫を見送るような未練を言った。

《次に来るときにはぜひ報せてね。そうだわ、夏にいらっしゃい。ミオにベッラージョのヴィラから観る、コモ湖の素晴らしい景色を見せてあげる》

《そうだな。おい通訳してやれよ》

アレクは上機嫌でジェイをせっついて、ふと窓越しに美しい星空を見た。

《いや待て、サンモリッツがいい。あの星空を観たら、ミオが死ぬほど喜ぶぞ》

確かに、美しいものを見つめる澪は、ミューズが舞い降りた如く美しい。

《イタリアでなければ意味がないでしょう? ミラーノのマドンニーナも観せていないなんて酷いわ》

黙ったまま澪の皿に料理を追加しているジェイに、ふたりは同時に顔を向けた。

《通訳しろよ》《通訳してよ》

ジェイは平然と、

《私のスケジュールと相談だな。当分は無理だけど》

《あなたってホントにエゴイストねぇ》
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