桜ふたたび 前編

2、スキャンダル

カンカンカンと靴音を響かせ、猛然と駆けつけたアパートの玄関ドアの前で、千世はぷるぷると拳を振るわせた。

剥がれかけた紙が風に音をたてている。赤く大きく暴力的な字、捲らなくとも中傷ビラだとすぐわかる。見るとそこここに紙を剥がした跡があった。

――いったい、澪があんたらに何したって言うんよ! こんなん、イジメやん。

誰も真剣になど考えていない。噂に便乗して、日頃の憂さを晴らしているだけ。
千世は張り紙を引っ剥がすと、ぐちゃぐちゃに手の中で丸めてコートのポケットへ押し込んだ。

爆発しそうな怒りを指先に込め、急かすようにチャイムを押す。いくら待っても応答はない。いや、チャイムが鳴っている様子もない。ドアに耳を当てなかの気配をうかがって、千世はどんどんと激しくノックをしながら声を上げた。

「澪、おるんやろ? うちや、ち・せ!」

拳を叩きつけること数10秒、ようやく「千世?」と、か細い声が返ってきた。

「そや、開けて!」

扉の向こうに現れた澪の姿に、千世はアッと仰け反り、それから忌々しげに下唇を突き出した。
まさかと思っていたけれど、本当にトレードマークの黒髪をばっさり切っているとは、だめ押しの証拠を突きつけられた気分だ。

澪は周囲を憚り千世の腕を引っ張った。

「入って」

言葉と行動の順番が逆だ。

ドアを施錠しチェーンを掛け、澪はふうっと息を吐いた。それから、「そうだ!」と千世の横を強引にすり抜けて奥へ向かうと、まだ憤然と玄関で立ち続ける千世に向かっておいでおいでをした。
< 237 / 304 >

この作品をシェア

pagetop