桜ふたたび 前編
「クリスは?」

「クリス? ああ、知っていたのか。幸い足の骨折くらいで、1ヶ月ほどで退院できるそうだ」

「顔は?」

「顔? そう言えば、額のこの辺りにプラスターを貼っていたかな?」

「……そうですか……」

「他人のことより自分の心配をしなさい。何度も連絡したのに、どうしていたんだ?」

澪はやおら視線を流した。

「すみません。ご迷惑をおかけして……」

ジェイは澪の手を取ると、その甲を撫でながら微笑んだ。

「退院したら、一緒にNew Yorkへ行こう。もう澪をひとりにはしてはおけない」

今度こそYesと言うだろうと自信を持っていたのに、澪がゆっくりと大きく頭を振るのを見て、ジェイは嘆息した。意固地にもほどがある。

「では、澪はどうしたいんだ?」

子どもの駄々につき合うように、やれやれと覗き込んだ瞳に、何か決意めいた凄みを見て、ジェイは怯んだ。

「もう……、終わりにしたい」

すぐには言葉の真意を計りかねて、ジェイは『What?』と聞き返した。

「私と別れたいと言っているのか?」

澪が即座に否定すると疑わなかったのに、彼女は黙している。彼女の無言という返答が、何を意味しているのかは知っている。まさしく晴天の霹靂だった。

「なぜ?」

手を握る力が強まって、反射的に澪が逃れようとしたことが、よけいにジェイの神経を逆立てた。

「理由は?」

ジェイは己の感情を制御するように、声を抑えて言った。だが、澪の唇は固く閉ざされたままだ。彼の努力は呆気なく吹き飛んだ。

『Don't be stupid!(ふざけるな)』

ジェイは椅子を鳴らして憤然と立ち上がった。
怒りのやり場を捜すように、廻れ右をすると大股に窓辺へ向かう。烈しくなった雪を前に、しばらく苛々と組んだ腕の上で指を叩いていたが、やがてくるりと踵を返して、再び澪に向き直った。
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