桜ふたたび 前編
「New Yorkへ行くのが厭なら、今回は諦める。外国暮らしに不安があるんだろう? まずそれを解決しよう」

澪は小さく頭を振った。

「それなら何が理由なんだ?」

ますます混乱したジェイの脳裏に、稲妻のように昨夜の光景が過ぎった。
ジェイは冷笑を浮かべ、わかったとばかりに、

「彼か?」

「彼?」

「昨夜、一緒にいた男だ」

澪は小首をかしげ、気づいたように目を大きくすると、慌てて体を起こした。

「そんなこと! 柚木さんとはもう過去のことです」

「過去?」

そのキーワードが男心を逆なでするとは、澪は思ってもいなかったのだろう。ジェイの胸を刃風のような冷たさが突き抜けた。

「過去の男とふたりきりで、いったい何をしていたんだ?」

「何もありません。気分が悪くなって送ってもらっただけです」

「そんなありきたりの言い訳を、私に信じろと言うのか?」

「言い訳じゃありません、本当に──」

「ベッドで抱き合っていて、何もなかったでは済まされないだろう? 君がそんな軽薄な女だったとは、失望したよ」

「ひどい……」

「ひどいのはどっちだ!」

静謐の部屋に、怒号が虚しく響いた。

長い沈黙が訪れた。先に耐えきれなくなったのは、ジェイの方だった。

《Porca miseria! Non e giusto. (ちきしょう、こんなことがあっていいのか)》

収拾のつかない感情を象徴するように、言語が混同している。
ジェイは大きく頭を振ると、何とか声を抑えた。

「納得できない。私は澪と別れないし、必ずNew Yorkへ連れて帰る」

ジェイは問答無用と言ったいつもの調子で言うと、悲壮に項垂れる澪の前から、足音を立てて去って行った。
< 251 / 304 >

この作品をシェア

pagetop