桜ふたたび 前編
ホテルの一室で、ジェイは目前の京都タワーを睨み据えていた。

今朝、病室はもぬけの殻だった。急いでアパートへ駆けつけたが、彼女が立ち寄った形跡はなかった。

昨日は、あまりに突拍子もないことに平常心を失っていた。女から別れを告げられることには慣れていたし、どんな出逢いにも別れにも、さしたる感慨を持ったことがなかったのに、それが、まさか、あれほど痛烈な衝撃を喰らわされるとは、思ってもみなかった。

冷静に考えれば、衰弱した澪が自暴自棄になって吐いた言葉だ。今はまだ鬱状態だが、体の回復を見れば、心も落ち着きを取り戻す。

そう安心して構えていたのに、虚を突かれた。

──あんな体でどこへ逃げたんだ。

実家は考えられない。澪の口ぶりから親との関係は良くない。

ふと、脳裏に一人の顔が浮かんだ。

ジェイは忌々しげにチッと舌を鳴らした。


❀ ❀ ❀


それから1時間後、駅ビル2階のカフェから、刻々と変わるコンコースの往来をじっと見下ろしていたジェイは、ニヒルな笑みを口元に浮かべた。
思ったとおり彼女はいそいそとやって来た。

「こんにちわ」

声を掛けられるのを待って、ジェイは振り向いた。千世の後方に目を凝らし、それから訝しげな視線を彼女に向ける。

「澪は、来ません」

重い溜め息とともに目を落とす姿に、気の毒そうな顔を作っても、うずうずした肩からは千世の本心がだだ漏れている。ついに堪えきれなくなった彼女が、自ら向かいの椅子に腰を下ろすのを、ジェイは(釣れた)とほくそ笑んだ。
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