桜ふたたび 前編
ジェイは返す言葉がなかった。マスコミを舐めていた。いや、もっと怖ろしいのは、メディアさえも踊らせる大衆のパワーだ。

「そやけど、澪が傷ついているのは、そんなことやありません」

千世はますます己に陶酔して、法廷で説く正義の判事の如く言う。

「クリスティーナ・ベッティのことです」

「その件は誤報だと、澪に説明してある」

「あの写真は? 週刊誌に載っていた、クリスティーナ・ベッティとのキスシーン」

「ああ、あれは──」

「言い訳してもムダですよ。澪、その現場を目撃しているんやから」

「え?」

「あなたがどんなに否定しても、目の前であんな濃厚なキスを見せつけられたら、いくら鈍い澪でもショックを受けますよ」

──そうだ、あの後だった。

パティオのベンチに澪を見つけ、パーティー会場へ連れ戻ったときから、彼女の態度はおかしかった。カプリでもどこか淋しげでそのくせ情熱的で、珍しく感情の波が激しかったことを覚えている。
別れの時間が迫っているからだと、そのときは思っていた。

「そのうえ、翌朝に自殺やなんて、腹いせとしか思えへん! それに、あなたには他に何人も恋人がいるそうやないですか。ウブな澪をこれ以上、あなたのゴタゴタに巻き込んで傷つけるのはやめてください」

千世の譴責に、ジェイは怒りを隠せなかった。怒りの矛先は自分自身に向かっていた。

澪はどんなときでも誠実だった。嘘や誤魔化しで、質問に応じたことはない。彼女が沈黙する理由はそこにある。
それなのに、自分は澪の疑問に、一度も真剣に取り合うことをしなかった。それが、彼女の不信を招いた原因だったのだ。
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