桜ふたたび 前編
15階のエグゼクティブラウンジで、ふたりは目を合わせることを避けるように、窓外に顔を向けていた。
遠く蒼暗い山並み、緩やかな稜線に切り取られた禍々しいほど美しい夕映の空、京都の街が暮れてゆく。

ピアノがエチュードを奏でている。大昔の悲恋映画で流れていたと、ジェイは少年期のナイーブさに引き戻される気がした。

どこでボタンを掛け間違えたのか、いくど思い返してみてもわからない。いや、はじめから、自分だけが愛に浮かれていたのだと、ジェイは硝子窓に映った顔に冷笑を浴びせた。

ジェイは澪に向き直った。

「澪」

澪は目を伏せたまま、ゆっくりと首を戻した。

「君が望むとおりにしよう。……私は、明日New Yorkへ帰る」

澪の睫の先が震えた。

「その代わり、ここから通院してほしい。あの部屋では落ち着けないだろう? ホテルは1ヶ月先までリザーブしてある。頼むから今日みたいにどこかに消えないで」

澪は切ない目を向ける。そんな瞳を見てしまったら、決心が鈍る。ジェイは瞼を閉じて、言い切った。

「食事の手配もしてあるから、充分に栄養を摂って、早く体を治すんだ。今は何も考えずに、眠りなさい」

──別れるんだ。

澪は現実感のないなかで思った。
こうなることを望んでいたはずなのに、何か重大な罪を犯したような苦しさだけがあった。

澪は薬指のリングを見つめながら、この半年間総てが夢で、今もまだ夢の中にいるのではないかと思っていた。
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