桜ふたたび 前編
「うちは小さなホテルで、事務は僕の奥さんが手伝っているんですが、先日、早産仕掛けちゃいましてね。家で安静にしてろって、初孫だからお袋が神経質になっているんですよ。それでおじさんに相談したら、澪さんはコンピュータの仕事をしてたって聞いて」

「コンピュータと言っても、建築用のCADですけど……」

「でも、パソコンはできるんでしょう?」

「……はい……多少は」

「充分です」

「でも、あの──」

「3ヶ月、いや2ヶ月でいいんです。4月から新入社員が来ることになっていますから。気晴らしだと思って、手伝ってもらえませんか?」

横峯はホテルの若旦那らしく、終始浮かべた愛想のいい笑顔を崩さずに、澪の答えを待っている。
2ヶ月なら派遣でもアルバイトでも雇えるだろうに、きっと伯父が頼み込んだのだと思うと、無碍にできない。

京都でジェイと別れて数日後、着替えを取りに戻ったアパートの前で、噂を聞いたのか心配して訪ねてきた悠斗に捕まった。
澪の言葉足らずのせいもあって、〈婚約者がいるとも知らずにイタリアくんだりまで逢いに行って、散々弄ばれた挙げ句に、スキャンダルが発覚してあっさり捨てられた〉と、とにかく烈火の如くの勢いで、そのまま枕崎まで引っ張ってこられたのだ。

伯父も伯母も、何も訊ねず温かく迎えてくれたけれど、だからといって、いつまでも居候を続けるわけにもいかない。今後のことを考えなければならないことはわかっている。

けれど今は、亡霊のように生きている実感もなく、何をする意欲も湧かない。なかば引き籠もりのような状態で、家と浜辺の往復以外は、買い物に出ることさえできずにいた。

澪は、人と会うことが怖かった。人の目が怖ろしかった。目立たず寡欲に生きようとするのに、世間は思っている以上にお節介で悪意に充ちている。
どうしてみな放っておいてくれないのだろう。人と関わることに疲弊して逃げてきたのに、ここでもしがらみに追い回されなければならないのか。

硬く俯く澪に、黙ってやりとりを聞いていた誠一は溜息をついた。

「澪、ないも就職せーとはゆちょらん。じゃっどん、ちったぁ外ん空気吸うてきやんせ」

そして、可愛い我が子を、山寺へ修行に預けるように、

「ほんのこてよろしゅう頼ん」

と、自分の半分ほどの歳の青年に、白髪頭を深々と垂れるのだった。
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