桜ふたたび 前編
そうしてルナは、彼とともに、彼の故郷へ帰ってきた。
熊本の山間の城下町は、京都に似ている。町の中心を滔々と流れる碧川の向こうに、城趾の石垣。もう桜が見頃を迎えていた。

「IORI……」

と、微かにルナの唇が動いた。

白菊に飾られた祭壇で、白衣の青年が笑っている。少し照れたような困ったような笑顔で、左の肩越しに振り返ってこちらを見ていた。

「遠いところをご足労かけました」

ルナははっと、祭壇の前で居住まいを正している両親へ顔を向けた。

「伊織の父です。このたびは、色々とお骨折りをいただき、まっことありがとうございました」

深々と白髪の頭を下げた目元が、遺影の写真と本当によく似ていた。

「MSFの紀村です。このたびは、誠に、何とお悔やみ申し上げればよいのか……」

無念さに項垂れ、両拳を太股の上で震わせる紀村の横で、ルナは凛然と顔を上げている。

「ルチアーナ・アルフレックスです」

ああっと、夫人が目を上げた。愛しげに目を細め、今すぐルナの心ごと抱きしめたいと言うように、少し身を乗り出した。

ルナは動揺を抑えるように一度目を瞑り、白い箱包みを、父の前へ丁重に差し出した。

一時、風が止まった。

頷く両親の顔に涙はなかった。第一報を受けたときから、生存の可能性が極めて薄いことは覚悟していたのかもしれない。生死を問わず帰国させる望みも、現地の混乱を鑑みれば半ば諦めていたようだ。
惜しむらくは、自分たちの手で荼毘に付すことが叶わなかったことだろう。戦闘が続く黄色い荒土に、彼らが足を踏み入れることは許されなかった。

今、ようやく遺影の元に、息子が帰還した。安堵したように手を合わせる両親の背中に、息子の生き様を誇りに思う穏やかな表情を、澪は見ていた。

静かだった。縁側の外の庭では、雲一つない泉水のような空の下、シデコブシが白い花を咲かせている。喪服の色がいっそう際だって、木蔭の杉苔を蕭条とさせている。時間が止まった風景のなかで、遺影だけが線香の煙の揺らめきに朗らかに笑っていた。

やがて、僧侶が到着し、読経が始まった。

身動きのできない厳かな哀しみ。
伊織を見つめるアイスグレーの瞳から、涙が一粒、光を弾きながら滑り落ちた。
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