桜ふたたび 前編
「ああ、ゴクラク、ゴクラク……」

空港ビルの玄関脇に設けられた足湯のベンチで、澪は体を捻って声の主を振り返った。ルナは温泉に足をつけ気持ちよさそうに目を細めている。膝までたくしあげた素足には、無数の古傷や生傷があった。

「ミオ、Nataleを覚えている?」

澪は躊躇いながら、ジェノヴァで過ごした思い出を紐解いた。他の光景を引いて、まだ切ない痛みが走る。

「私、ジェイに言ったの。egoismでミオの人生を振り回すのは止めなさいと」

名前を聞いただけで胸がきゅっと締めつけられた。

「やり直すchanceは彼にはないの?」

やはりルナは知っていたのだ。それを、いくら懇願されたからと、別れた恋人の妹に会うなど無神経だった。
婚約者を亡くしたルナに同情して、断れなかったのも事実だけれど、彼に対する未練が介在していなかったかというと嘘になる。

ルナに会ったそのときから、澪は常に彼女にジェイの面影を写し見ていた。相手の目を直視する眼差しや、照れたような笑顔。そのたび胸がきゅんとした。
逢いたい気持ちと、もう逢えないのだと言う失望感が、ずっとせめぎあっていた。きっと見透かされていたに違いない。

「……わたしではジェイと釣り合いません……」

「あんな化け物だらけの世界に、ミオが合わせる必要はない。ミオはそこにいて、ジェイが安心して戻れる場所であって欲しいの」

それでも自信なく俯く澪に、

「永遠に失ってからでは遅い。傷ついても、傷つけても、それが生きている証なのだから」

寂しそうに呟くと、体を反転させ、タオルで足を拭いながら言った。

「ジェイは今、入院しているわ」
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